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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

宇宿神社

泉家住宅で教えられた通り宇宿小学校に沿って回り込んでいくと、宇宿神社の大きな鳥居がある。元は小学校の場所にあったが学校が拡張されたときに、その外側に移転したとのこと。建て替えたときコンクリート製になって風情がなくなってしまったという。

鳥居をくぐったところは広場になっていて、正面には顕彰碑が建っている。

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右側に石段があってその奥が社殿。

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境内の雰囲気は新しいが鳥居、石灯籠、石碑などの石造物は相当の年代を感じさせる。


鳥居足元には小さい像がある。

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何なのかよく分からない。腹の部分に太い綱を巻いているように見えるので力士像かも知れない。

 

左側の石碑に碑文があるがかなり読み取りにくい。

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側面には大島宇宿神廟社とあり由来が書かれているようだ。正面碑文中には住吉大明神、天満天神社の文字がある、背面に文政二年十二月という文字も見える。

 

これは社殿を斜めから。

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社殿の右側はきれいに手入れされていて、すがすがしい。

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奥に留魂碑。

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宇宿だけでなく城間、万尾、崎原、土盛などの人の名もある。手前にゴロゴロしている石はどういう意味があるのだろうか。

 

『笠利町誌』には、「宇宿神社は住吉神社と菅原神社を合祀してあり、昇家の祖である島津藩の御用商川口新左衛門が文政12年(1829)にこれを伝えて昇家の氏神とし、明治18年には郷社として宇宿近在の集落の氏神とした。この神社の起源は大阪住吉の官幣大社住吉神社である」と書かれている。

 

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