「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

林家屋敷跡 (諸鈍)

浜沿いにディゴの並木が続くカネクと呼ばれる地区のほぼ中央に、かつて島役人を務め隆盛を誇った諸鈍の名家林家の屋敷跡がある。

正面の浜に面した石垣。右側がディゴ並木。

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正面の門があったところ。石垣が一部崩れている。

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門の中は樹木が生い茂っていて荒れ果てた状態。中は何もありそうにない。

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こちらは側面で、石垣が波打っていてかなり危なっかしい。

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この辺は大丈夫なようだ。

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裏に回るとここも崩れていて半ば道路をふさいでしまっている。

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屋敷はほぼ正方形で、おおまかな目測であるが500坪以上はありそうだ。

 


林家は林前織の時代に最も隆盛を極め、特に家人(ヤンチュ)の数の多さで有名だったようだ。ヤンチュというのは借金の返済の代わりに身を売り渡した農奴のことである。
奄美でヤンチュの多い家を歌った俗謡でも、渡連方諸鈍の林前織が1番に挙げられている。
  屋家業一番な
  ま東や前織衆
  うりが二番な
  ま住佐応恕衆
  大和浜三能安衆
 林前織は1789年諸鈍で生まれ、文化11年(1814)に竹木横目という公職について以来、田地与人・東方与人・住用与人を勤め上げている。

※参考『碑のある風景』(籾芳晴)昭和55年発行

 

上記の『碑のある風景』では、「諸鈍の林家跡を訪れると往時の面影がそのまま残っている。草むす石垣は、琉球築城法を採用したものといわれ、二百年近い今日でもビクともしない。海に向いた正面入口は封鎖され、中に入ると正面に「中屋」が長い風雨にさらされていた。壁はないが、大きな柱と屋根のカワラは林家の力を示すのに十分なものだ」と書いている。

200年間もビクともしなかった石垣が、ここ数年でゴロゴロと崩れていくのは残念なことだ。そのうち「単なる廃墟」になってしまわないとも限らない。


近くの墓地に林家の墓石群がある。

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一番手前の墓石には「文久三年 享年七十七歳 林前織」などの文字が見える。

その他にも「田地与人 林前貞」や「津口横目 林前賢」などと読めるものがある。

 

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