「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

摩文主一族の墓 (渡連)

渡連の集落に入る手前、県道から海岸の方向に向かう小道がある。入っていくとすぐに墓地が見える。

f:id:hn2784:20131010171459j:plain


奥の方に入っていくと、古くて立派な墓石がいくつも並んでいる。

f:id:hn2784:20131010171727j:plain

f:id:hn2784:20131010171744j:plain

f:id:hn2784:20131010171853j:plain

これらの墓石群は摩文主一族の墓で、この辺りはウフダッチョと呼ばれているという。
年号が記された墓としては町内で最も古く、元禄六年(1693年)、宝永元年(1704年)と刻まれているというが、それぞれの墓石に何か書いてあるのは分かるものの、とても読み取れない。

 

『大奄美史』によると、この摩文主は、琉球服属時代の第二回大島討伐に琉球から遣わされた人物で、戦後もそのまま渡連に留まって妻帯したのが摩一族の始まりという。討伐というとことばは穏やかではないが、今でいえば内戦介入というところか。諸鈍でのナングモリバラとグリャバラの闘争でグリャバラに味方して、諸鈍と山を挟んで背中合わせの渡連から上陸して攻め入り、ナングモリとその一族を皆殺しにしたという。ただこの第二回大島討伐については、残っている文書や口碑によりいろいろな説があるようだ。

 

この墓と道路を挟んで反対側の山の中にも、摩文主(あるいはその一族)の墓と五輪塔があるらしい。外で仕事をしていた民宿の方に聞いてみると、「そういうのがあることは知っているが、行ったことはない」とのこと。おおよその方角は教えてもらったものの、まともな道があるとも思えず、一人で山中をうろつくのはあまりにも(ハブなどの)リスクが高そうで、今回は諦めることにした。

 

広告を非表示にする