「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

諸鈍長浜歌碑 (諸鈍)

諸鈍集落の入口、大屯神社の向かい側に地蔵さんと諸鈍長浜の碑が建っている。
大島ではお地蔵さんはちょっと珍しい。

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歌碑の背後には諸鈍湾が見えている。

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諸鈍長浜
諸鈍ぬ長浜に 打上ぐぃ引く波や
諸鈍みやらぶぃ(娘)ぬ 笑い歯ぐき

諸鈍ぬ長浜や 大和がでぃとゆむ
諸鈍みやらぶぃや 島中とゆむ

浦々ぬ深さ 諸鈍の浦深さ
諸鈍みやらぶぃの うむぇ(情)ぬ深さ

諸鈍みやらぶぃや 雪のろぬ歯ぐき
何時が夜の暮れぃて 御口吸はな

 

『大奄美史』では、近古期(琉球服属時代)の代表的な歌として、諸屯節と久仁屋節を取り上げている。
琉球王の第二回大島征伐(諸鈍叛徒の反乱)のときに大島に攻め入った琉球運の将兵が、戦争は二の次にして毎日のように遊芸に興じていた。そのうちに見物に集まった諸鈍の女童(娘)といい仲になって、諸鈍の浜で毎晩のように恋の花を咲かせた。やがて戦争が終わって凱旋したあとも諸鈍女童の面影が忘れられずこれを慕って追憶の歌を作ったのが諸屯節であるという。

歌も秀逸であるが曲も優れており、琉球名曲の一つとして今でも盛んに行われている。琉球ではこれを大島から伝来したかのように言っているが、そうではなく、歌も曲も天才的な琉球人の手に成ったものであることは、歌の技巧や内容から見ても間違いない。大島には曲としては余りに古典的なためか伝わっていないが、歌はさまざまな節の中に歌われている。これも戦争の結果として生じた琉球文化交流の一例として見るべきものであろう。
~『大奄美史』から~

 

「諸鈍長浜」は大島の代表的な民謡の一つで、私が持っている朝崎郁恵のCDにも入っているが、これは歌詞が6番まで続いている。

 

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