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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

むちゃ加那節の歌碑その2 (生間・むちゃ加那公園)

***前回の続き***

 

有名なむちゃ加那節であるが、この物語は、古い話が口から口へ伝わってきたために、いくつかのバージョンがあるようだ。

『大奄美史』では「うらとみ節」として、この話を紹介している。
大島が薩摩の支配に帰して間もない頃、代官の権勢は強大で島の美人を「あんご」として奉仕させていた。渡連方生間の農夫の娘うらとみは新任の代官に求められたにもかかわらず、これを拒否したため過酷な重税などあらゆる圧迫を加えられた。うらとみの両親はこれに耐えられず嫌がるうらとみを無理やり海に流してしまった。
うらとみは何日か漂流した後、喜界島の小野津に流れ着いた。村人に助けられたうらとみは土地の百姓と夫婦になり、やがて女の子が生まれてむちゃ加那と名付けた。ところがこの子も成長して、母にも優る美人になったため、回りから妬みを受けることになる。
あるとき、青海苔採りに夢中になっていて岩から海に突き落とされて溺死してしまう。母のうらとみは娘を探し回るが、ついに娘の後を追って入水自殺を遂げる。
「うらとみ節」あまりには古いので漸く古老の記憶に残っているだけで、島人でも知っている人は稀である。歌詞も前半は湮滅して後半部分が断片的に残っているのみである。
~大奄美史から(要約)~

昭和二年に発刊された『奄美大島民俗誌』(茂野幽考)では、生間で見染められたのは「うらとみ」ではなく「むちゃ加那」で、喜界島へは一家で逃げて行く話になっている。むちゃ加那が海に突き落とされて母親が探し回るところは同様であるが、うらとみの名は出てこない。

『奄美加計呂麻島のノロ祭祀』(松原武実)によると、村人の話として、「住用の市の大木というところに流れ着いたむちゃ加那の遺体を持ち帰って祀ったのが生間のゴンゲンの始まり」だという。
住用の青久という集落に「むちゃかなの碑」があり、この話と符合しているようだ。

また『瀬戸内町誌(民族編)』には「生間にはウラトミ神社があり・・・」と書かれていて、ウラトミを祀っているようでもある。