「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

江仁屋離で離島防衛訓練

新聞を読んでいると、離島奪還を想定した上陸訓練の記事があったので、今回は江仁屋離について。(内容は新聞記事とは直接関係ない)

江仁屋離(えにやばなれ)は加計呂麻島の西にある無人島。瀬戸内町実久に属しているが、実久集落からは岬に遮られていて直接見ることができない。

江仁屋離には行ったことがないので、写真は外から撮ったものだけしかない。
実久と芝を結ぶ林道から集落背後の岬越しに見える。

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犬が寝そべっているように見えなくもない。

これは林道をさらに進んで夕日の丘という高台から写したもの。

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この道路はここから先は通行止めになっていた。どうりで途中1台の車にも出会わなかった。

こちらは本島側からの写真。

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「江仁屋」の江は入江・浦のこと、仁屋はキナの訛音で焼畑の意味とされている。ヤギや牛の放牧地として利用されているというが、今現在もそうなのかどうかは分からない。

 

リアス式海岸に挟まれた大島海峡は、明治期から南西諸島の軍事上の要所として注目されてきた。特に太平洋戦争中には海峡の出入口や海峡両側の集落の到る所に陣地が構築された。
大島海峡北西側の江仁屋離には、海軍の大島護衛部隊衛所、大島守備部隊高射砲台があり、戦争末期には100人以上が配置されていたという。

 

島には今でもコンクリート造りの兵舎跡や、兵士たちが起居していた名残の浴槽ややかんなども残されているという。現在はレジャーやキャンプ地として人気が高い。
※参考『まんでぃ』(瀬戸内町)

 

冒頭の話に戻るが、地元の新聞では「武田副大臣は島しょ防衛の重要性と訓練の意義を強調し、大島への自衛隊施設の新設に意欲をのぞかせた」と書いている。また「自衛隊誘致活動を進める瀬戸内町では、訓練実施を好意的に受け止める人も多い一方、島内の民間団体が訓練に対する抗議行動を計画するなど、賛否両論の声が挙がっている」とあり、なかなか複雑な面もあるようだ。

 

本題とは関係ないが、新聞記事でこの島を江仁屋離島と呼んでいるのにちょっと違和感を感じた。離(ばなれ)にはそもそも島の意味があるだろうから、わざわざ後ろに島とつけるのはおかしくないかと思ったのだが、調べてみるとどうもそれが正しい名称らしい。もっとも須子茂離や夕離は島がついていないので、どういう基準で島名を決めているのか経緯がよく分からない。(どうでもいいようなことだが・・)

 

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