「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

島尾敏雄文学碑その4 (呑之浦)

 ***前回の続き***

 

島尾敏雄文学碑の後方、一段高くなったところに、島尾敏雄、ミホ夫人、長女マヤのお骨が納められた碑が建っている。

f:id:hn2784:20090923090530j:plain


石塔には、「島尾敏雄・ミホ・マヤこの地に眠る」と彫られている。

f:id:hn2784:20090923090436j:plain

島尾敏雄は昭和61年に69歳で死去。ミホ夫人はその20年余り後の平成19年に87歳で亡くなっている。
長女マヤは小説『死の棘』で実名で登場する。まだ幼児ことばで話す4歳くらいの女の子で、映画にもなったのでそのイメージが強いが、平成14年に53歳で亡くなっているといるという。


島尾は終戦を挟んで加計呂麻島に10カ月余り、戦後本土から移ってきて20年弱を名瀬で過ごしているが、

ずっと短かった加計呂麻での体験の方がむしろ底深く圧倒的であるのはおもしろいことだ」(『南島通信』ー「加計呂麻島呑之浦」)と書き、また呑之浦について、

この静寂な入江を敗戦までの十箇月のあいだ私はしばらくの間も離れることをせず、朝も昼も夜もそして夜中も浦うちを徘徊しつつ棲息した。自然の運行のまにまにその息づかいに従っての生活は、全く棲息というにふさわしい日日であった。入江いっぱいにふくれあがった海の潮はそのあとしだいに退いて行き、やがては山中の川幅ほどにも痩せてしまうが、痩せるだけ痩せるとまたひたひたとまたふくれあがってくることの日毎のくりかえし。それは海という巨大な生きものの呼吸に合わせての快いリズムを体内に湧き起こさせ、身も心も順調なはたらきを取りもどすことのできた珍しい日日であった。」(同)と書いている。
島尾文学の原点であるばかりでなく、島尾敏雄とミホとの出会いがありその後の二人の人生を決定づけたこの地に対する思いが読み取れる。

 

f:id:hn2784:20140130123736j:plain