「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

きびの郷磯平パーク (戸円)

磯平パークの場所を地図上で大体の見当をつけていたがそれらしい案内がどこにもなくて、峠を降りて集落の手前まで行って、ようやく通り過ぎていることに気づく。Uターンしてもやっぱり見つからず一旦海岸近くまで降りる。車を止めて辺りを見回すと、幸いにも近くの小屋で作業をしている人がいた。ようやく場所が分かったが、入り口に案内のないのはちょっと不親切だ。横道を下に降りていくと駐車場と案内板がある。

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左側に由来が書かれている。

きびの郷磯平パークの由来
慶長10年(1605年)大和村大和浜出身の直川智翁は、琉球に渡る途中に台風にあい、中国の福建省に流されました。
当時。中国では、製糖技術を外国人に教えることは禁止されていましたがサトウキビの栽培技術と黒糖の製法をひそかに学び、帰国の際には、衣類箱の底を二重にして、命がけでキビ苗3本をかくして持ち帰り、大和浜戸円の磯平のこの地に植栽しました。
その後、翁は、サトウキビ栽培を群島内に奨励し、技術改良に専念しました。
又、子供には、家業としての伝授を命じ、製糖技術の向上と栽培の拡大をすすめました。
幾多の時代を経て、現在ではサトウキビは奄美の基幹作物となっています。
翁の偉業を讃えるため、明治十五年には、思勝の尾神山の麓に開饒神社が建てられ、昭和五十九年には改築されています。
大和村では、日本で初めて黒糖製造に成功したこの磯平の地に、平成四年度から4ケ年事業で、きび公園を整備しました。
公園の面積は11406㎡、進入道路、世界のきび展示公園、展望広場、駐車場、サタ小屋、磯場への遊歩道などを整備しています。
サタ小屋は、時季的に公開し、製糖体験もできます。

 

駐車場の下の方は、海岸までの斜面を利用した公園になっている。

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少し坂を下りたところに柵に囲まれた広場があって石碑が建っている。周囲はかなり草に覆われている

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左の石碑には「直川智翁日蔗創苗之地」と書かれている。

横に碑文がある。

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上に鹿児島県知事名の碑文。下の方の文章は、一部掠れていて読み取りにくいが、直川智翁の功績を記した後に、奄美群島の祖国復帰10周年の記念事業としてこの碑を建てたと書かれている。昭和三十八年の建立である。
珍しくこの碑は横書きである。数字はすべて漢数字で、原稿用紙に書いたようにタテヨコのマス目上にぴったりと納まっている。

 

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下の方に建物が見える。いろいろ施設がありそうだが、あまり人が訪れている形跡もない。全体的にひっそりとした感じでもちろん人影もない。海岸に向かって大きな斜面になっていて、こういうところをなぜ砂糖黍の栽培場所にしたのかちょっと首をかしげる。

 

直川智が慶長年間に黒糖製糖に成功したあと、島内にどの程度広まっていったのかよく分からない。産業として定着するのは、財政困難になった薩摩藩が、屋喜内間切横目の嘉和知と三和良を琉球に派遣して、1690年かその翌年に製糖業を導入してからのことである。

直川智のもう1つの史跡である開饒神社はこちらを参照⇒ 開饒神社 (思勝) - 「大奄美史」紀行