「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

赤木名城跡

 赤木名中学校の裏手に神社の鳥居があり社額には秋葉神社とある。
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石段を登ると社殿がある。屋根に千木があるが、建物自体はあまり神社らしくない。

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神社の奥の方に赤木名城跡の石碑。
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この隣には以前に紹介した赤木名観音堂の碑がある。
赤木名観音堂の碑 - 「大奄美史」紀行

 

赤木名城跡は平成21年に国指定の史跡になっていて、発掘調査では11世紀~18世紀の遺構や陶磁器、米粒などが出てきている。
教育委員会の案内板の後半部分を抜粋する。

 城跡が広大に拡張したのは15世紀から17世紀と考えられる。中世並行期の奄美地域の歴史は必ずしも明らかではないが、15世紀には琉球と喜界島との抗争があり、15世紀末に日本勢力が大島への介入を続けており、大島は琉球・日本双方の勢力とそして軍事上の要衛であったと考えられる。こうした状況の中で城郭が築かれたっものと推定される。琉球では14世紀ごろから石造りの独自の城郭が発展するが、大島ではその系統のものが見られず、赤木名城は日本からの影響が看取される。このように赤木名城郭はこの時期の琉球と日本・奄美との政治・軍事・経済的な関係を知るうえできわめて重要な遺跡とされている。

城というと何時代に、誰が、何のために造ったのかということを先ず知りたくなるが、上の文章ではよく分からない。奄美の城(シロ、グスク)はそれほど単純なものでもないらしい。


城跡への登り口があるので行ってみることにする。
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道は細く、折り返しながら林の中を登っていくがなかなか着かない。夕方の時刻になっていて少し心細いが、下の方からは中学校のクラブ活動らしき元気な掛け声が聞こえてくる。

やがて広いところに出る。

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案内板が2つあって、1つは「曲輪・堀切」、もう1つは「土塁・帯曲輪・腰曲輪・竪堀」の発掘調査の説明である。曲輪という山の中の平場を中心として、いろいろ遺構が発掘されているらしい。

この場所が曲輪のようだ。

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堀切・土塁の遺構らしいものがあるが、残念ながら知識がなくてよく分からない。

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