「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

原野喜一郎石碑 (奄美アイランド/原野農芸博物館)

山間集落と山一つ挟んで、奄美アイランド/原野農芸博物館と書かれた施設がある。
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建物が閉鎖されているので、事情を知らずに「今日は休館日か」などと気楽に考えていたが、そうではなくて2010年の集中豪雨で大きな被害を受けてそれ以来休館になっているようだ。
館の前の敷地内はオープンになっている。

右手に石碑がある。
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農文化に貢献した人・原野喜一郎」と書かれている。
原野喜一郎は民俗学に興味を持って、先人の残した民具、農機具などを集めて大阪府豊中市に所蔵していたが、自然環境や安全面から所蔵に適した地として奄美を選び、昭和63年にこの地に移設して展示・公開した。奄美大島出身というわけではなく、奄美にはいい空気、いい水があり、それを支えるよい森林、よい山河があるということが立地の決め手になったそうだ。博物館は動物園、植物園ととともに奄美アイランドとして観光拠点としての役割も担ってきた。

原野喜一郎氏は一般にはあまり知られていないように思うが、私も失礼ながら入り口のプレートに「原野農芸博物館」とあるのを、意味を取り違えて「げんやのうげい・・」と読んでしまっていた。人物については情報がなくて詳しいことはよく分からない。

 

石碑の横のほうに車両の台車のようなものがある。
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これは「天山」というヨットで、戦後の日本外洋ヨット界で名を馳せた名艇だそうだ。
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これは奄美大島の沿岸で引きあげられた碇石だ。
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船の碇泊のときに、沈めてある石に綱を括り付けていたので石へんの「碇」が使われているが、近世には鉄製になったので、金へんの「錨」が使われるようになったと解説されている。

 

歯車などの錆びた部品のようなものを並べているが、何なのかは分からない。
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 原野農芸博物館は険しい山地の谷間にあり、急傾斜の谷が2010年の集中豪雨で崩壊して土石流が発生した。この土石流によって展示室や収蔵庫にも土砂が流れ込んで建物や収蔵資料が被災したという。
博物館のHPに被災時の写真が掲載されており、被害の大きさが分かる。

 

博物館の前の海。この辺の海は浅くて砂地が露出して川のようにも見える。左奥の方はマングローブ原生林につながっている。
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