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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

三太郎茶屋跡 (三太郎峠)

しばらく加計呂麻が続いたので、一旦本島側に戻ることにする。

瀬戸内町の方から国道を行くと、奄美市役所住用支所あたりに三太郎峠と標識があり、右折すると旧道に入る。

三太郎トンネルができたのはかなり前だから、こういう旧道は荒れ果てているのかと心配していたが、そんなことはなくて舗装道路を全く問題なく登っていくことが出来る。地図で見ると国道のかなり東側を大きく迂回していることが分かる。

しばらく行くと左側に入る道があり「三太郎茶屋跡2.3km」の案内板がある。
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ここから林道に入って行く。三太郎トンネルの真上をクロスする感じになる。この林道も舗装されていて走りやすい。珍しく2~3台の車とすれ違う。

やがて「三太郎峠の由来」と書いた案内がある。
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少し長いので要約する。
畠中三太郎は安政5年(1858年)薩摩半島の川辺郷田部田村に生まれた。三十代の時に三太郎は農業指導員として奄美大島へ来島。41歳となった明治32年に、ここ三太郎峠の山林を入手して開墾を始めた。時代は移って大正8年には新たな県道が完成して、次第に乗合自動車の時代へと移っていくが、三太郎夫婦はこの地を離れることがなかった。
昭和7年7月、三太郎が倒れ、9月には後を追うようにシゲが鬼籍に入る。三太郎75歳、シゲ76歳であった。
柳田國男は、既に店を閉めてしまった後の三太郎茶屋に立ち寄り、『海南小記』(大正14年)に「三太郎は囲炉裏のそばで肘を枕にごろりと寝ていた」と書いている。


階段を上に登ると「三太郎茶屋跡」と書いた碑が2つ建っている。
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裏に回ってみる。木の方は、住用村教育委員会が建てたもの、もう1つの石製の方はクぃンムン村が平成二十一年に建てたものだ。クぃンムン村というのは、地元の史跡を保存する団体の名称だろうか。
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ここから内海方面がきれいに見える。昔の旅人もこの茶屋で一服して景色を楽しんだに違いない。
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案内の地図を拡大してみる。
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案内が建っているところは畠中家の裏で、赤い線が今車で入ってきた道路だ。村道スタル俣線とあるがスタルは須垂のことだろう。古くはこの峠は須垂峠と呼ばれていたらしい。

村道からいくつも道が分かれている。これは古道跡のようだ。
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