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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

加計呂麻唯一の教会 (西阿室)

集落のほぼ真ん中辺りの土俵に近いところに、加計呂麻で唯一のカトリック教会がある。他の集落でアシャゲやトネヤ、ゴンゲン、神社ばかり見慣れてきた目には、かなり斬新な建物に見える。
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ただ笠利や名瀬の教会のように、周囲を威圧するように聳え立つ豪壮な建築ではなく、こじんまりとしていて風景に溶け込んでいる。
最近塗装し直したのか、真新しい感じがする。

大島のキリスト教はフェリエ神父が名瀬で布教したのが始まりであるが、そのせいかどうか、カトリック教会は大島の北部に集中している。

※参照 フェリエ神父胸像 (名瀬聖心教会) - 「大奄美史」紀行

    教会発祥地の碑 (末広町) - 「大奄美史」紀行

大島の教会は31あるが、住用、宇検以南ではほどんどなくて、瀬戸内町では古仁屋とここ西阿室だけである。

この教会は屋根の上のマリア像が特徴だ。名瀬聖心教会HPを見ると西阿室教会に「憐みの聖母」というサブネーム?が付いている。
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西阿室では、ジェローム神父の布教活動により昭和32年5月に89名の集団受洗者を出し、昭和46年には166名の信徒数を数えていた。その後急激な過疎化(30名を超える死亡者、100名以上の転出者)により昭和55年当時は30名足らずの信徒数となったが、集落共同体の中では大きな影響力を持つ存在であったという。
この地に教会が建てられたのは信徒が急増していた昭和42年である。
※参考『奄美-自然・文化・社会』(九学会連合奄美調査委員会編)-「奄美の村落生活の変化と信仰(安齋伸)

ちなみに昭和43年の西安室の人口は371人だから非常に大きな割合である。現在も教会が維持されているということは、それなりの数の信徒の方がおられるのだろう。ただ加計呂麻に多くの集落がある中で「なぜ西阿室なのか」というのはよく分からない。