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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

武家屋敷跡(瀬武)

武家屋敷と書いて「たけけやしき」と読む。「ぶけやしき」と読んでしまうと後の話が続かない。

県道から高千穂神社の方に向かう途中、右側樹木の間に石垣が見える。

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石段には雑草が生え、石垣にツルが絡まっていてちょっと廃墟っぽい雰囲気がある。後から瀬戸内町立図書館・郷土館HPの写真を見ると感じが違っていて、一瞬場所を間違えて写真を撮ったかと思ってしまった。(今でも多少疑いが残っている・・)

石垣の間に門柱が建っていて、中は林のようになっているが相当広い。

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石垣は少し傾いている。何度も補修しているのかも知れない。

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門を入って右側の奥の方に建物があり、これが屋敷の跡のようだ。

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※2015.2.28 屋敷写真追加


武家は一族の朝恵喜が与人となったのをはじめ、代々横目などの島役人を勤めて、文政9年(1826)に郷士格を得ている。武家は古文書を多く所蔵していて、瀬戸内町や加計呂麻の歴史を知るうえでの貴重な資料となっている。

郷士というのは鹿児島城下の士分と区別するために地方の士分を称して言ったもので、郷士格はそれと同等ということだろう。
大島では最初龍郷の竜家と篠川の芝家が郷士格になっていて、その後文政13年以前に郷士格となった家は10数家あり、下人10人まで許されていたが、その中にこの武家も入っている。(加計呂麻では他に西家、林家)
郷士格になるには資格要件があり、与人や横目などの島役人を代々勤めたり格別の勲功、功績があることが必要で、この勲功、功績というのは主に砂糖の献上のことを言ったらしい。
※『大奄美史』を参考。

 

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