「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

実久村役場跡 (瀬武)

 昭和31年の町村合併で瀬戸内町ができる前、瀬武には旧実久村の役場があった。集落の中心付近、県道沿いのバス停のそばに役場跡がある。

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二本の門柱が残っている。右側の門柱には「實久村役場」と書かれた表札が残っている。中は空地になっていて、左の建物は公民館、右はバス停の待合所である。元はこれらも役場の敷地内だったと思われる。

瀬武は藩政期には西間切西方に属しており、この頃は本島側の西古見、久慈、篠川なども同じ西方にあった。明治になって間切が廃止されたときには加計呂麻島は渡連方、実久方の2方になり瀬武には実久方の戸長役場が置かれた。その後明治41年に町村制が敷かれ加計呂麻島、請島、与路島を合わせて鎮西村となり、このときの役場は於斉であった。

於斉は地理的には本島側とは反対にあり、人口もそれほど多かったようにも思えないが、なぜここに役場が置かれたのかよく分からない。ただちょうど加計呂麻島の中央付近(重心)にあるため細長い島の住民の便宜を考えた上のことかも知れない。現在、於斉には特に跡地などの史跡は残っていないようである。

大正5年、鎮西村から実久村が分離、このとき瀬武に実久村の役場が置かれた。昭和31年瀬戸内町が誕生して実久村役場は役目を終えた。

 

役場横の公民館の後ろの方に石碑が見える。これは県道側から見たものである。

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何と書いてあるのか読めないが、忠魂碑らしい。

 

これは2005年に撮影した役場跡付近のようす。ガジュマロの枝ぶりが見事である。

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