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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

高千穂神社 (瀬武)

瀬武集落の北側、県道から川沿いに入る小道がある。
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高千穂神社入口この先200M」と書いた板が建っている。

 

川に沿って集落の裏側の方から山に入る。
九十九折れの坂道を登っていく。板を立てて階段のようになっているがかなり急だ。
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やがてコンクリートの階段の上に鳥居が見えてくる。
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境内には何もないがかなり広い。雑草などはなく整備されていることが分かる。奥の方に松林に囲まれるように社殿がある。
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社殿は簡素で堅固な造りであるが、屋根や窓などは少々傷んでいるようである。
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入口は素通しになっているので中に入ってみる。。
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神殿には三体の少しずつ形の異なる自然石があり、これがご神体のようだ。前にお神酒が供えられていて、置いてある黒糖焼酎の銘柄は「里の曙」「じょうご」「れんと」とバラエティに富んでいる

 

林の間から瀬武の集落とその向こうに薩川湾が見える。
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この神社は加計呂麻島の最高峰弓師岳の麓にある。

 

『日本歴史地名体系(鹿児島)』によると、瀬武村の項に「山麓に明治二年(1869)に大島の宗廟として勧請された高千穂神社が鎮座する」とあって、明治の廃仏毀釈の際に各方に1社ずつ建立された神社のようだ。

ところが『奄美加計呂麻島のノロ祭祀』によると、昔はここは厳島神社であったが、瀬武が役場所在地になったことから、高千穂神社に改称して村社としたという話があるという。

これだと実久村が鎮西村から分離して瀬武に役場が置かれたのは大正5年であるから、高千穂神社になったのは大正時代ということになり、『日本歴史地名体系』の記述とは合わなくなる。

どちらが合っているのかよく分からない。

 

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