「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

厳島神社(須古茂)

集落東側コドネのミャーから奥の方に入って行くと向こうに神社の鳥居が見える。

f:id:hn2784:20131009162703j:plain

 

鳥居の先は石段があり、左側に社殿がある。

f:id:hn2784:20131009162642j:plain

この神社は加計呂麻では珍しく平地(山の麓)にある。
鳥居の左柱横にあるのが、ムラ人が水を汲みにきていたというソーツと呼ばれる泉である。

鳥居脇に案内の札。

f:id:hn2784:20131009162444j:plain

厳島神社
寛政の頃年月日は不詳であるが峯田前田氏は旧家に生まれ常に信仰心厚く村人の尊敬を一身に集め私を捨て公に殉ずる一徳望の志がありました。
帰途海上安全を祈る為ささやかなる神社を建立し村人の氏神様として鎮座し奉ったのを契機として以来数百年間今日に至るまで部落の守護神として参拝を続けています。昭和十六年十一月度重なる台風によって破損した個所を補修。毎年旧暦九月九日には例祭を施行し部落の安泰を祈願すると共に峯田前田氏の徳を偲びつつ部落を挙げて一日をお祭りに興じて居る。

上の峯田前田氏という人物がよくわからない。寛政といえば1800年頃で藩政期にあるので、鹿児島から来た人のようである。だとすれば何をしに来ていたのか。神社まで建ててもらうほど尊敬されていたのであるから藩の役人とも思えない。峯田前田というのも姓にしては随分不自然である。峯田氏と前田氏ということでもなさそうだが・・。

1枚の案内札から疑問が尽きない。

 

建物は板囲いしていて神社というより何となくトネヤっぽく見える。昭和16年ごろに茅葺からトタン屋根にしたそうである。
f:id:hn2784:20131009162619j:plain

 

横から見ると奥に神殿がつながっていて、確かに神社である。
f:id:hn2784:20131009162556j:plain

 

須古茂には、ミャーありゴンゲンあり神社ありで祭祀が盛沢山である。
それぞれ(多分集落の人による)案内札があり、伝統を伝えようという気持ちが感じられる。

 

広告を非表示にする