「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

霊峰湯湾嶽に登る

***前回続き***

 

鳥居をくぐると先は山道が続く。途中から傾斜が大きくなる。倒木や高い段差があったりして歩きにくい箇所もあるが、道は確保されていてそれほどの困難はない。

ところどころ小さな花が咲いていて心が和む。
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途中標識はあるものの、距離が書いてないので多少不安になる。ひたすら歩くとやがて大和村からの登山道と合流して、ほどなく頂上。ここまで45分。

入り口にはここにも赤い鳥居がある。
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山頂は周りを林に囲まれたかなり広い草地になっていて、何もないどころかいろいろなものがある。
まず入口近くにあるのが与湾大親の碑。
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○の中に二の字のマークがあるのは家紋だろうか。なぜここに与湾大親の碑があるのかはちょっと分からない。与湾大親は笠利村用安の生まれ(『大奄美史』)で、用安には墓碑や大親神社がある。与湾、用安、湯湾と並べると発音がかなり似ているが、湯湾岳にも与湾大親の伝承が残っているのだろうか。

その向こうに赤い屋根の御堂。右側に「高野山真言宗・奄美岳大師御堂」左に「南無大師遍照金剛」とある。
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大島で寺院を見ることは滅多にないので、この山頂にいきなり真言宗の御堂があるのはかなり意外である。見たところそれほど古いものではないが、近隣に信者の人がいるのだろうか。

正面奥には神社の祠。
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長年風雨に晒されてきたようだ。正面左側には碑文らしきものが書かれているが傷んでいて全く読めない。どういう由来でこの神社が建てらたかよく分からない。前に馬らしき動物の全身像があり、神馬として奉納されたもののようである。

神社横に小さな碑が2つ。
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右奥の方にはお目当ての降臨碑がある。
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嗚呼大島開闢始祖
奄麻美古・志爾禮久
二神降臨之霊地
明治三十七年九月十六日

明治の建立にしてはかなり新しすぎるような気もする。再建したのだろうか。笠利のアマンデーにある碑は明治三十四年だから、ほぼ同時期ということになる。
この碑は珍しくアマミコ、シニレクの二神が並列して書かれている。

『南島旅行見聞記』(柳田國男)では湯湾嶽について、「入営兵士の家族など殊にまゐる。大正元年に立てたる大石碑あり・・」と書いている。この大石碑がどれを指しているか分からない。大石碑というほど大きなものはないし、降臨碑としても年代が異なる。

展望台もあるが、ちょっと危なっかしいので昇るのはやめる。ここからは海は見えない筈。
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帰りは下りで楽な筈だが、なぜか往きとぴったり同じ45分かかる。

 

※写真は2013年10月撮影のもの

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