「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

かんつめの碑 (名柄)

 久慈から名柄方面に登っていく。山頂近くの林道と分岐するところのすぐ近くにかんつめの碑の案内がある。

f:id:hn2784:20131012131813j:plain

 

10段ほどの石段を登ると、手前左側と奥の方に石碑がある。

f:id:hn2784:20131012131845j:plain

 

手前の「カンツメ之碑」と書かれた石碑。かなり古いもので花が供えられている。
f:id:hn2784:20131012132100j:plain

「碑のある風景」(籾芳晴)によると、名柄の老人クラブの人達が建てたそうだ。

周囲にはシイなどの雑木が茂り、案内板もなく、初めて通る人は見つけることができないような場所。時代も、その主家さえも定かでない女の霊を祭るにはむしろふさわしい感じもする。
 ~碑のある風景から~

 

奥には「かんつめ節の碑」があり、こちらはかなり新しい。
f:id:hn2784:20131012131926j:plain
運命に泣いた
  乙女の恋を
 永久にこだませ
  かんつめの歌

これは現代の歌のようだ。

  
  かんつめ節
ゆべがであすだる
  かんつめのあごつくわ
 あちやがゆねや
  ぐしゆが道いじ
   みそでふらそ
かんつめや名柄
  岩加那や久慈
 こいじへだてて
   うむいぬくつさ

カンツメの死後名柄の奥宮嘉喜という歌人が作詞作曲自ら歌ったところその哀調が万人の胸を打ち、やがて全島で歌われるようになったという。

隣に碑文がある。

碑文
奄美は民謡の宝庫といわれ先人から幾千首の民謡が唄い継がれ情緒豊かな旋律は島の津々浦々に今なお聞くことができます。
その数多い島唄の中で、かんつめ節ほど島びとに愛唱されているものはない。
この唄は、その昔、この地方に主家で生涯を奴隷同様に働くヤンチュという制度があり、名柄集落のある豪農でヤンチュ娘(使用人)として仕える年のころ十九、二十歳、容姿端麗で気立てのやさしいかんつめと久慈集落の役所に勤める歌と三味線の巧みな青年、岩加那とのはかない恋物語をうたった唄で、美貌で制度の中の弱き者がゆえに周囲からねたみ、しいたげられ一人さびしく散った女心をしのび、いつしか誰とはなしに人々にうたい継がれてきた唄です。
島唄は奄美の自然と歴史に密着し民族文化の基盤として島びとの生活とともに生き続けてきたのです。
このような祖先の遺産を風化させることなく未来に伝えていくことは大事なことであります。
ここに有志の方々の心暖まる援助をいただき名曲「かんつめ節」の碑を建立するにあたりかんつめの魂しいに永遠の冥福を祈り不朽の名作を記念するものであります。

 島唄愛好家有志一同 宇検村

 昭和五十九年三月三十日建立

 

『大奄美史』でも封建時代の名残を伝える悲歌として詳しく紹介している。ただヒロインの名前が「カンツメ」ではなく「カントミ」になっている。少し不審に思って調べてみると、茂野幽考の著書で「カンテメ」という読み方をしているのが見つかった。
カンテメの本名は金富(かねとみ)である。名柄の人はかねとむと云ひ名瀬方面ではかんつみと云ふ。かんつみは正しくない。私は語音を美化してカンテメとした。
 ~『奄美大島民族誌』から~

ちなみに中野律紀のCDに「かんつめ節」が入っていたので、注意深く聞いてみると「カンティメ」と聞こえる。これが正しい発音のような気がするが、・・

広告を非表示にする