「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

昭和天皇行幸 (6)大島海峡

***前回の続き***

 

帰艦後は板附船競争を観戦される。夜は提灯行列が行われ、海岸では篝火が焚かれ煙火が打ち上げられたいうから、大変な騒ぎだったようだ。

この日午後一時半より御旅情を慰め奉る余興として、青年団や在郷軍人団の選手によって大島特有の板付船の競漕が行われ・・・・
夜は夜で海陸相応してきわめて特色的な提灯行列が行われ、未曽有の盛感を呈したが、陛下には殊の外御機嫌麗しく御覧遊ばした。
~ 『大奄美史』から ~

 

またこの日は薩川湾、翌日は2回にわたり渡連湾で、珊瑚礁や海底生物を潜水夫に採取させて専門の学者と顕微鏡で研究された。
昔、ニュース番組などで学者と一緒に顕微鏡を覗いている場面をよくみた記憶がある。若い頃からのライフワークだったようだ。

薩川湾はちょうど蟹の頭と両手(前足?)の間に挟まれたような形をしているが、この角度ではよく分からない。これは左手の付け根付近の林道から撮影。

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行幸記念写真帳の日程では池間(生間のこと?)に御微行とあるが、『大奄美史』では渡連湾とあって微妙に違う。写真は渡連海岸で沖には海底生物がいそうな雰囲気があるが、湾と言えるほど陸地に入り込んでいるわけではない。

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8月8日午後4時御召艦は古仁屋港を出て帰途につかれた。

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これは警備艦長良からの写真であるが、遠方の3隻のうち御召艦がどれかわからないが、こういう場合は普通真ん中に位置するものだろうか。船の形から先頭のような気もするが、・・

 

このときの行幸を記念したものは古仁屋だけでなく瀬戸内町各地に残っているようだ。今のところ自分で確認できたのは、由井のミャーにある行幸記念の鐘だけ。

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