「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

与湾大親の墓碑(ばしゃ山村)

 ばしゃやま村の駐車場の入口のところに与湾大親の墓碑がある。

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「与湾大親之墓碑」と書かれた碑の両側にあるのは狛犬のようでもあるが、ここは神社ではないのでシーサーなのだろう。

 

両側に説明文があり、ほぼ同じ文章であるが左側の板製の方が古い。
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長与湾大親五郎の碑
琉球王朝時代、尚清王による琉球統治に王によって任命された大島首長の一人であり、忠孝心厚く慈悲に富み、島民から慕われ今もって深い畏敬の念で語られる

 

『大奄美史』では琉球服属時代の「第一回大島討伐」という章で与湾大親のことを書いている。

琉球支配後も大島での豪族たちの割拠闘争はなくなったわけではなかった。尚清王の頃、大島には数名の大親がいたが、その一人が与湾大親であり善政を敷いて民を慈しんでいた。ところが仲の悪い同僚たちの妬みから、与湾大親が謀叛を企んでいると讒訴され、王は之を信じて与湾討伐の兵を出した。討伐軍の上陸を見て与湾大親は捕えられる前に自害して果て、息子の糠中城(ぬかなかぐすく)は琉球へ連行された。後に王は与湾の無実を知って悔悟し、中城を厚く用いたという。 ~ 大奄美史を参考に要約 ~

島人は与湾の冤罪を憐れんで祠を建てて祀り、物語は口碑として伝わったという。笠利町赤木名の入口に与湾大親の墓があるというが、今もあるのかどうかは分からない。

 

※ 大親というのは、当時の行政区画である間切の長であり、多くは琉球から派遣されていたという。