「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

白糖工場跡 (名瀬らんかん山)

前回に続いて白糖工場跡で、今回は名瀬へ。

矢之脇の検察庁名瀬支部から山を回るようにして、地図で見当をつけておいた小道を入っていくと、らんかん公園の入口に着いた。

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らんかん公園と書いた石柱の向こうに案内板がある。やや掠れている。

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慶応年代の白糖工場跡
薩摩藩が四国の白糖に対応して、最新の知識を発揮して、イギリスの製糖機械を輸入して、名瀬金久、宇検須古、瀬戸内久慈、竜郷瀬留、四ヶ所に白糖製造工場を設置したのであるが、その一ヶ所の名瀬金久の工場がこの付近一帯にあったものである。
社団法人奄美青年会議所

辺りを見回してみるが、それらしい痕跡は何もない。すぐそばに「龍宮」で有名な富田酒造場の建物があるが、これは関係なさそうだ。ちなみに富田酒造の年に1回しか出荷しないという高級焼酎「らんかん」は、蔵の背後にあるこのらんかん山に由来しているそうだ。

 

『大奄美史』には、

「一台三万円ないし六万円の洋式製造機械四組を英人クラークの手より購入し、イギリス人技師ガラバ、オランダ人の機械技師オートロス、製糖技師マキムタイラを雇い入れ、・・

とある。

一方奄美市役所のホームページでは、

薩摩藩は、英国人の技師2人(ウォートロス、マッキンタイラー)を招聘し、奄美大島の4箇所に白糖製造工場を建設しました

とあって、オートロス(ウォートロス)、マキムタイラ(マッキンタイラー)の国籍が異なる。

 これは当時、欧米のことをすべてオランダと呼んでいたためで、らんかん(蘭館)と呼ばれるからオランダ人が住んでいたというわけではなさそうだ。

また、

煉瓦技師のウォートロスは後に、英国の商人グラバーの紹介で大阪造幣寮の建築や銀座(東京)の煉瓦街を設計したり、全国的な活躍をし、アドベンチャー・アーキテクトとして有名になりました。 ~ 同 ~

とあって、オートロス(ウォートロス)とガラバ(グラバー)の職業が異なっている。

これも文の内容からみて、奄美市役所のホームページの方が正しそうだ。

ここに出てくるガラバ(グラバー)は、後に砂糖の自由売買を主張して勝手世騒動を起こした丸田南里を、英国に連れて帰った人物である。

  ⇒ 丸田南里の墓 (井根町) - 「大奄美史」紀行

 

白糖工場跡の案内の隣に、くれないの塔の由来を書いた案内がある。

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上には記念の塔や公園があるようだが、今回は時間と体力の事情でここで引き返すことにした。