「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

白糖工場跡 (瀬留)

龍郷町役場から龍郷湾に沿って北上してすぐ、瀬留という集落に白糖工場跡がある。

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これは龍瀬地区「歴史とロマンの散歩道」のNo.6に指定されている。

木立に囲まれた区域が工場跡のようだ。

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整備されてきれいになっているが、製糖工場跡を示すようなものは残念ながら何も見つからなかった。

 

大島と言えば黒糖しか思い浮かばないが、白糖工場の史跡もあるのは意外であった。

『大奄美史』によると、大島の製糖術がなかなか向上せず、

寛政十三年(1801)に至り、薩藩では大島産糖の品質向上を図るため、讃岐から教師を聘して讃岐流の白糖製造を試みた」

これはうまくいかなかったが、

「藩庁ではこれに屈せず更に白糖の製造を大々的に企画し、慶応元年(1865)より同二年もしくは三年にかけて、名瀬方金久村・宇検須古村・竜郷方瀬花留部村(後瀬留に改める)・西方久慈村の四か所に、宏壮なる白糖製造工場を建設することにした」

とある。

瀬留にもこのとき英国製の機械が設置されたようだが、明治元年(1868)には早くも閉鎖している。

「原料供給の不便、燃料の不足、維新の政変等各種の事情が錯綜して、事業の継続困難に陥り、・・・」

とあり、今流に言えば、「エネルギー供給や物流などのインフラが未整備のため、生産設備の安定稼働に支障をきたし、・・」といったところだろうか。

 

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