「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

篠川農学校跡 (篠川)

 海岸沿いに走る県道を右折して篠川集落のメインストリートを行くと、バス停横の木立の中に「篠川農学校跡」の碑が建っている。
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篠川農学校は明治33年に篠川実業補習学校として設立、明治36年篠川農学校に改称して、大正7年に廃校になっている。

 

石碑と川を挟んで、現在は篠川小学校・中学校の校舎がある。
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篠川農学校開校前はここに「西校」があった。

大島では師匠屋、郷校の時代を経て明治12年に小学校が設立され、高等小学校は明治22年に名瀬に、翌23年に古仁屋に設立された。古仁屋の高等小学校は西校と呼ばれ、その年に篠川に移転した。

『大奄美史』の著者昇曙夢は、明治27年にこの西校を卒業している。
遠方の者は学校所在地の民家に二、三人ないし四、五人ずつ下宿または自炊しながら通学した。その頃のことを回想すると、まるで内地の都会にでも遊学したような気持ちで、自分の村に帰省するのはたいてい一か月一、二回くらいのものであったが、その時の家族の送り迎えは大したもので、やまと旅の上り、降りにも譲らなかった。・・・
~ 大奄美史から ~
情景が目に浮かぶようである。

入学試験は相当難しかったようで、

当時の入学試験としたら、・・・・。例えば物理だと「鉄艦の海に浮かぶ理由如何」とか「卵を縦にして上から押しても潰れざる理由」とか、作文だと「南門の鎖鑰としての大島の軍事的価値」といったような問題で・・・・・
~ 同 ~
そもそも問題文の漢字が読めない。

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