「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

開饒神社 (思勝)

 直川智(すなおかわち)を祀る開饒(ひらとみ)神社のある思勝(おんがち)という所に向かう。

トンネルを抜けた先に交差点があり、右側が大和村役場、この辺りが大和村の中心らしい。周りを見回すが神社らしいものがない。目の前に交番があったので聞いてみる。若いお巡りさんが出てきて「すぐそこですよ」と私の背後を指さす。振り返ると今出てきたばかりのトンネルの横の山裾に神社の鳥居が見えた。

山を背にして堂々とした神社である。背景と溶け合っている。
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社殿は朱塗りでまだ新しそうである。
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崖にくっつくように神殿がある。千木は外削ぎ、堅魚木は3本。
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境内の右手に碑がある。
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直川智翁の功績碑
追賞授与証
鹿児島県大島郡湯湾村 直嘉和誠先祖
亡直川智
慶長年間支那に漂着し難苦の際、克く製糖の術を学び苗を携へて帰へり、之を島中に種ゆ。喜界徳之島大島絶大の特産は実に此に基ず。○に其功労を嘉す特に○賞するに金幣壱壱百円を以てす。
明治十三年三月二十八日
内務郷従四位勲二等 松方正義
大蔵郷従四位勲二等 佐野常民
糖業功労者
故直川智
右の者は早くから農業に従事していたが慶長年間朝貢のみぎり支那に漂着し難苦の末よく甘蔗の栽培並びに製造法を習得し蔗苗を携え帰島これを○稙し幾多の苦難を克服してこれが製法の改設と増稙に努め遂に製糖に成功し大島糖業の基礎をつくた。この偉大な先駆者の功を讃え明治十五年大島糖業の創立者として開饒神社に祭祀されたものである。同人の甘蔗傳来三百五十年にあたるので同社再建と功労感謝祭を挙行するにあたり特に贈位を行うものである。
従五位 故直川智
昭和三十六年三月三十一日 内閣総理大臣 池田勇人
1つの碑に2つの碑文が入っていて、しかも連続して書かれているのでよく読まないとどこで切っていいのか分からない。後の方の碑文は、昭和36年に従五位贈位されたもので、戦後もこういう位階の制度があるとは知らなかった。

以下は県神社庁のホームページから。
•神社名:開饒神社
•神社名カナ:ヒラトミジンジャ
•鎮座地:〒894-3104 大島郡大和村思勝1-3
•例祭日:不明
祭神
•直川智翁(スナオカワチオキナ)
由緒
明治十五年十一月一日に高千穂神社の境内に創建年された。
祭神直川智(すなおかわち)翁は、慶長年間中国(福建省)から甘蔗(砂糖黍)苗を密かに持ち帰り、屋喜内間切大和浜(大島群大和村)西浜原に日本で初めて製糖法を伝えて、黒糖百斤を作ったとされる。
奄美の基幹産業である大島紬と並ぶ黒砂糖の守護神としてその御神徳を称えられ、明治十三年に金幣壱百円を追賞され、昭和三十六に従五位に叙せられた。
現在のコンクリートの社殿は昭和五十九年四月二十九日に全国からの奉賛金で改築竣工した。

大島で近世以降の実在の人物が、神社の祭神として祀られているのは珍しい。この直川智と西郷南洲の2人だけではないだろうか。

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