「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

有盛神社 (浦上)

有盛神社に祭られる平有盛は、平重盛の四男で資盛の異母弟、行盛の従兄弟にあたる。

名瀬方面から行くと、和光トンネルを通るバイパスと国道58号が合流する交差点を右折、すぐに左折すると小高い丘の上に神社の鳥居が見える。ここが有盛神社でこんもりとした森になっていて神社らしい雰囲気がある。

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階段登ったところに立派な鳥居がある。
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参道を進んでいくと神社の境内があって奥に社殿がある。境内はかなり広く手入れが行き届いている。
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本殿は木造りで落ち着きがあり、結構手がかかっている建築のようだ。
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神社の右手の登り口に市の指定文化財になっている弁財天像の案内板がある。
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奄美市指定文化財
有盛神社の石造弁才天像
(有形文化財・彫刻)
奄美大島には、壇ノ浦の合戦で敗れた平家の落人たちにまつわる伝承が各地に残されています。喜界島から奄美大島にたどりついた平家の行盛、有盛、資盛の三武将は、北部に行盛が、中部に有盛が、加計呂麻島に資盛が城を構えたと伝えられています。
有盛神社が所在するこの小山一帯が、有盛が居城を構えたと伝えられる場所で、小字地名も「有盛」と呼ばれています。実際、この小山一帯には、中世山城によく似た構造物が構築されています。
また有盛神社上側の尾根には、文化(1816)年の銘文が刻まれている有盛の墓碑も建てられています。この小山には「テラ」という別称もあり、有盛墓碑が建てられいる場所を「ウンテラ」、有盛神社が建てられている場所を「サンテラ」と呼びます。かつては、ノロ祭祀の祭場として用いられていました。
有盛神社には、弁財天像が奉られています。弁財天像の裏面には、宝永8(1711)年に薩摩藩士の田代清方が四海泰平、君臣安全、諸願成就を祈念して安置したと銘文が刻まれています。奄美の歴史や宗教を解明する資料となることから、昭和47年3月2日に名瀬市指定文化財に指定され、現在に至ります。

弁財天像の安置が宝永8年というから随分古いものだが、これだけでは有盛神社の創建との前後関係は分からない。

 

案内板の横を登っていくと「水道竣工記念碑」と書かれた石碑をがあり、さらに登っていくと少し広いところに出る。
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石で囲まれた有盛の墓がある。
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両側面と背面に碑文が刻まれている。
かなり読み取りづらいが、右側面には、「文化十三年」とか「大島代官」というような文字が見える。