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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

西郷南洲流謫跡 (龍郷)

西郷松からさらに龍郷湾沿いに北上して、西郷南洲の謫居跡を訪ねる。

入口に門柱が建っていて周囲に生垣があり、中は庭園のようになっている。

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阿丹崎に到着した西郷ははじめ美玉新行の空家に住んでいたが、その後小浜の郷士格龍家の離れ家に移転、2年8か月をそこで過ごし、龍家の愛加那と結婚した。

 

愛加那の石碑はまだ新しい。

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 愛加那碑文

1837(天保8)年、愛加那は龍一族の二男家、佐榮志の娘として生まれた(幼名・於戸間金)。少女期から芭蕉布を織りはじめ、やがて村の女たちに教えるほどの腕前となる。気丈で働き者であった。

1859(安政6)年、鹿児島から遠島になった西郷吉之助(後の隆盛)と結婚し、この家で暮らす。菊次郎と菊草の二児に恵まれたが、三年後吉之助は島を去り、やがて二人の子も西郷本家へ引き取られた、吉之助は明治維新の立役者の一人として歴史にその名を残した。愛加那は、この家でひっそりと暮らし、ひたすら夫と子らに会う日を待った。

1902(明治35)年8月、大雨の中を畑仕事に行き、そこで倒れた。享年六十六歳。愛加那は島妻の生涯を終えた。

愛加那没後百年を記念して

2003(平成15)年12月25日建立

龍 マサ子

 

奥の方に住居がある。長男菊次郎が生まれて後に建てた新居である。

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この家に住んで2ヶ月足らずで西郷はこの地を離れた。この時愛加那は長女菊草をみごもっていた。

 

見学者が後からもう一組来て人数がまとまったところで、奥の建物から案内の人が出てきて流暢に(訛は強いが)説明をしてくれる。話しぶりから、この家にゆかりの人ではないかと推察される。

 

家の内部には遺品が展示されている。

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家の外に大きな石碑があるが、字は全く読めない。大島島司笹森儀助が呼びかけて明治三十一年に建立されたという。碑文は勝海舟が書いている。

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 碑文

天の此人に大任をくださむとするや、まず其志をくるしめ其身を窮乏すと、まことなる哉此言や唯友人西郷氏に於て是を見る、今年君の謫居せられし旧所に碑石を設くるの挙あり、島民我が一言を需む、我卒然としてこれを誌し以てこれに応ず

  明治二十九年晩夏 勝安芳

 

昇曙夢は西郷が大島流謫中に島民に与えた影響、功績について非常に高く評価していて、『大奄美史』でも、3度にわたる流謫の経緯や流謫中の様子、エピソードなどを詳しく伝えている。また『奄美大島と大西郷』という著書もある。

 

愛加那の墓があると聞いていたので、聞いてみるとすぐ近くの田畑家墓地の中にあると言う。ただ個人のお墓なので中に入るのは好ましくないということで、外から墓地の写真を撮るだけにした。

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