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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

津代古戦場跡(手花部)

 薩摩軍の琉球侵攻で最初に戦闘があったとされる津代古戦場跡に行く。

手花部から赤木名に向かう坂の手前で国道から外れて海岸沿いの細い道に入る。この辺りは深い入江になっているらしく、穏やかな海に面している。
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しばらく何もないが小集落の先に案内がある。
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この辺りは港から赤木名に行くための古道が残されているらしい。
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山道に入ると洞窟のようなものがある。
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これが入口に案内のあったアナバリトフルという墓らしい。
アナバリトフル
ここより50m先にあります。
穴の開口部は横2m。高さ1.2mの半円形で内部は扇状に広がっています。
昔はトフル墓(納骨堂)として使用され、骨が入った甕などが収められていましたが、現在は天井が落下したりしています。
このトフルの30m先には古い墓の跡がたくさんありますが由来等は不明で、今からの研究が待たれるところです。
手花部老人クラブ

 

元に戻ってさらに先に行くと藪越しに内海のようなところで漁をしている人がいる。
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何を獲っているかはここからでは分からない。この辺りは干拓地なのだろうか、周りが樹木で囲まれて完全に池のような状態になっている。

 

少し広くなった箇所に戦跡の案内がある。
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津代の戦跡と港
ここ津代は、慶長14年(1609)の薩摩藩による琉球侵攻の際に、戦闘が行われた場所であると言われています。
右手の山上には、サンゴ石が置かれた古い墓も見られますが、当時の戦闘に由来するものであるかは、はっきりとあかっていません。
また津代は、薩摩藩による藩政時代には、黒糖貿易の港として栄えた場所でもあります。

戦跡と言っても草むらと奥に林があるだけ。港があったという痕跡も残っていない。

慶長14年(1609)2月、琉球侵攻のため鹿児島を出発した薩摩軍は、途中七島灘で台風に遭い衆船散乱するが、久高大将搭乗の船を含む5艘150名が3月7日津代港に着した。笠利の大親真牛(もうし)は3千人を率いて防戦するが、武器の備えなく退却して上陸を許した、大親は捕虜となり結局は降伏するしかなかった。戦闘は、大和浜、焼内間切、東間切間切嘉鉄村でも行われたという。
(参考『大奄美史』)

林の中に道がある。
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さきほどの地図にあった赤木名につながる古道のようだ。かつて港があった名残なのだろう。歩いてみたいが時間の都合で今回はここまで。

 

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