「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

蒲生神社(蒲生崎)

蒲生神社は、戸口に居城を構えた行盛の配下で、近海を監視するために屋仁崎に配された遠見番・蒲生左衛門を祭る神社である。

大島の最北端に近い用という集落から山に入り、反対側の海に出る。海岸線に沿って南下し、屋仁という集落を過ぎてしばらく行ったところに蒲生観光公園の看板があり、10分ほど山道を行くと蒲生崎観光公園の駐車場がある。

「蒲生公園・展望台・蒲生神社」と書かれた門が建っている。

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門を入ってしばらく歩いて行くと真新しい鳥居がある。平成23年5月に寄進と書かれているのでごく最近のものだ。
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そのすぐ先にかなり斜めになった木の鳥居がある。傾き方がちょっと中途半端で、取り壊すでもなく、修復するでもなく残されている。
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そこを降りていくと左手にまた鳥居があってこちらはきちんとしている。
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20段ほどの階段あって登り切ったところに4つ目の鳥居。奥に本殿が見える。

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両脇にかなりの年代を経たと思われる狛犬と像が建っている。
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こちらは左側。狛犬の形はシンプルでちょっととぼけたユーモラスな感じである。口を閉じているので吽形。手前左にあるのは裸で腹が出ていて腰に綱のようなものを巻いているところを見ると力士像か。

 

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右側の狛犬は口を開いていて阿形。手前右の像は頭に髷らしきものがある。服装はよく分からないが左側の力士像とはかなり雰囲気が違う。

 

社殿の右脇に由来記の石碑がある。
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蒲生神社の由来記 参考文献(名瀬市誌・笠利町誌)
この蒲生神社は寿永4年3月15日(1185年)の暮、今を去る791年前壇の浦の戦いに敗れた平氏は一族郎党主従3百余人、三位中将資盛を征夷大将軍として四国右岸から九州東岸沿いに南下し喜界島を経て建仁2年(1202年)774年前、有盛・行盛の二将がはるばる彼の跡を追ってきたのに会った。そこで空しく月日を送るのも心もとなく思い、近くに横たわる大島の攻略を思い立ち資盛、有盛・行盛は三軍に分かれ大島に攻め入った。大島に攻め入って6旬(50余日)をかけて全島を平定した。三大将は島内を三分して資盛は島の西南○東間切、西間切、屋喜内間切を領有し諸鈍に居城を構え全軍を総○し、有盛は島の北部笠利間切、名瀬間切を領して浦上に居城を構え北部を警備し、行盛は島の東部古見間切、住用間切を領して居城を戸口に築き東南を警戒してその管内にそれぞれ兵を駐めて守備に当たった。○○行盛卿は笠利湾の入り口をはさんで相対する右岸の屋仁崎には蒲生左衛門を、左手の安木場には今井権太夫を配して近海を監視させ敵の来襲に備え、7日目毎に海上の様子を注進させた。そして源氏の旗印と見まちがうことを怖れ漁船その他島内すべての船に白帆を用いることを禁じた。その後いつの頃からか屋仁崎、今井崎は二人の遠見番の名に因んで蒲生崎、今井崎と言われるようになった。蒲生神社は遠見番であった蒲生左衛門を祭神として建てられているが果していつの時代に建設されたか何の記録も残っていない。しかし○平時○使用された○○○れるもの或は宝物として残されていることから考えて蒲生左衛門その人が没後その住居を神社らしいものに改造したのではないかと思われると古老は語っている。御神体の大鏡(約十五糎)は文化3年(1806年)170年前ニャテラガナシの神体は天保九年(1838年)13○年前に奉納されたものである。近代社会に至り明治大正昭和と日清日露の戦役と日支事変大東亜戦争に至るまで町内郡内群外から出征兵士の武運長久を祈願して多くの人々が参拝された神社である。なおニャテラガナシの御神体が合祀され縁結びの神でありお産の神として安産を祈り海抜百四十米の地に鎮まります神社であり現代でも参拝者の絶えることのない尊い神社であります。
吉田吉○記 大野巌謹○
これによると祭神は蒲生左衛門でニャテラガナシという神様が合祀されているとのこと、創建は不明ながら江戸時代後期にはすでに建てられていたらしい。合祀されている「ニャテラガナシ」というのは聞いたことがなく、調べて見たがよくわからない。

 

境内にいくつかの石塔があるが、時代を経ていて文字などは読み取れない。
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神社から元の道に戻ってさらに奥に進むと展望台に出る。展望台からは東シナ海と竜郷湾などが一望できる。

笠利崎方向の海岸線。手前は屋仁港のようだ。

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こちらは今井権太夫が守備していたとされる対岸の今井崎方向。

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北方には十島も展望できるとのことであるが、この日は晴れていながら霞がかかっていて見ることはできなかった。

 

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