「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

笠利鶴松の碑(赤木名)

奄美市役所笠利総合支所で笠利鶴松の碑の場所を教えてもらう。あまみ商工会館の建物の前の道路わきに石碑がある。
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比較的新しい石碑が2つ。1つは笠利鶴松の碑である。
機 織りの母 笠利鶴松女史の碑
 玉乳(たまじ)握(か)ちみれば
 染だるより勝り
 後ろ軽々と
 いもれしょしら!!
この島唄は薩摩藩による横暴極まる酷な砂糖法度の取り調べより美人「鶴松」が一首の唄で藩士を撃退し、島の人々を救った。奇知に富んだ「鶴松」の代表作である。

『大奄美史』では、薩摩藩の圧政に対する反抗の代表的なエピソードとして、この歌を取り上げている。以下は歌の解。
玉の乳房に手を触れたからには関係したよりもまさる。それで満足して未練を残さずにさっさとお帰りなさいの意。しょしらは男の敬称、かちみるは物を握ること。
~大奄美史から~

 

川上鶴松は寛政三年(1791)大笠利で生まれ、幼いころから感受性が豊かで歌作りがうまく、人々から歌作りの天才と呼ばれていた。当時奄美で流行っていた「歌問答」という即興的な歌のやりとりを大笠利海岸などで行い人気を集めていた。

『碑のある風景』(籾芳晴)によると、鶴松の墓は大笠利にあり、墓地の中ほどの川上家代々の墓碑にまつられているそうだ。

川上鶴松 
明治十三年二月二十二日八十九才
奄美民謡の天才的詩人として笠利鶴松としてその名を後世に残す

薩藩時代の歌は厭世的なものが多いが、鶴松の歌はおおらかで、官能的、自由奔放なものが多いとのことである。

 

もう1つは「泥染め発祥の地」と書かれた碑で、商工会館建設と壁画設置の協賛企業などが書かれている。笠利鶴松・曾孫代表・・という人も名を連ねている。

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