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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

阿麻美姑天神最初天降地の碑 (笠利アマンデー)

 

最初の記事は(最初に相応しく)大島開闢に関する史跡である。

奄美空港から南下して奄美パークを過ぎてすぐ、節子という集落から山の方に入っていく。右折する道路を探しながら何の目印もないままやがて山間に集落が見えてくる。たまたま通りかかった自転車に乗っている人に聞いて、通り過ぎていることが分かる。教えられた通りわき道を入っていく。しばらくすると防衛相専用道路の標識有り。通行禁止とは書いてないので、どんどん登っていくとようやくアマンデーの案内表示がある。入って行くとそこそこ広い駐車場に着く。

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駐車場から山道を5分くらい歩くと視界が開けてそこに石碑がある。海の方に向かって建っているので後ろから入るような形になる。
かなり古い石碑には「阿麻美姑天神最初天降地」とある。

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右前に説明の石碑あり。

アマンディ(奄美岳)について
奄美開びゃくの神話(口碑)は女神「阿摩彌姑」男神「志仁礼久」の二神がはじめてアマンディ(天孫嶽もしくは奄美嶽)に天降りしこの島をおさめ後島伝い浦伝いに南下したと伝えている。
古来、この地は「アマンディ」と称され村人も○「○○かい地」として深く尊崇されてきた。この阿麻美姑天神最初天降地の碑は明治三十四年節田の住人朝仲明他八名が発起人となり村人に呼びかけて建設したものである。笠利町○昭和四十六年九月由緒あるこの地を文化財に指定し永く保護○○こととし道路その他周辺の整理補修工事を施工昭和五十三年二月○○竣工した。ここアマンディは海抜百三十メートル節田・平・和野の三集落の中核に位置し東は沖あいはるかに喜界島をのぞみ南に市崎・真崎・皆津崎を展望する景勝の地にあり近くの節田に開びゃく二神を祭る阿摩彌姑神社がある。
昭和五十三年二月
笠利町教育委員会
笠利町文化財審議会

 

ここからは笠利の平野と海が一望できる。左の方には奄美空港の滑走路。

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大島の開闢について大奄美史では、
奄美大島の発祥は祖国日本の開闢と同じく美しい神話に始まっている」の書き出しで始まっている。
それによると、大島は海に漂う浮島に過ぎなかったが、これを高天原から見た天照大神がアマミコ(阿麻弥姑)という女神とシニレク(志仁礼久)という男神の二神に詔して島の修理を宣せられた。二神は無数の島嶼を造ってその後三男二女を産んだ。長男は天孫子と称して国の始となり、二男は按司即ち諸侯の始となり、三男は百姓即ち庶民の始となり、長女は君々の始となり、次女は祝々(のろ)の始となって人倫の道がこれより始まった。

二神は大島の経営後島伝いに南下して琉球を修理したと伝えられている。

開闢二神の天降りした場所は2つの説があるという。1つは笠利のアマンデー(天孫嶽)、もう1つは宇検村の湯湾嶺である。

奄美史ではアマンデーの方が真実らしいという。開闢神話はヤマト民族の最初の移住を物語るものであり、その地としては地理的にみて低平な地勢と良港を持つ笠利の方が相応しく、また遺跡や口碑などから笠利地方が奄美文化の発祥の地ではなかったかと思われるということである。

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