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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

戦跡・聖蹟

大和が沈んだのは徳之島沖?

<前回の続き> ところで、戦艦大和の慰霊塔がなぜ徳之島にあるのか、多少違和感があります。沈没地点は北緯30度43分東経128度04分で、地図上でみると徳之島が1番近いというわけでもありません。 どう見ても屋久島の西、徳之島から見るとかなり北の方になり…

戦艦大和慰霊塔(犬田布岬/伊仙町)

犬田布騒動記念碑から、さらに先の犬田布岬へ。突き当りの広い駐車場に着きます。駐車場から岬の先端に向かって遊歩道が延びています。 ここからはまだ、戦艦大和の慰霊塔は見えません。 遊歩道を歩くと、波の砕ける音がだんだん大きくなってきて、やがて左…

鹿浦小学校旧奉安殿(伊仙町)

旧奉安殿があるという鹿浦小学校へ。校門から見た限りでは奉安殿らしきものはありません。休日だったのですが、職員室におられた先生に声をかけて校舎背後にある奉安殿まで案内してもらいました。先生は郷土研究に詳しい方で、徳之島のことをいろいろお聞き…

疎開船武州丸の慰霊碑(亀徳/徳之島町)

なごみの岬公園には、富山丸慰霊塔の向かい側にもう1つの慰霊碑が建っています。 疎開船武州丸遭難者の慰霊碑です。 裏に碑文があります。 大東亜戦争の激化に伴い、徳之島守備の高田部隊の要請により鹿児島県知事は徳之島の老幼婦女学童を本土へ疎開せしめ…

富山丸慰霊搭(亀徳/徳之島町)

亀徳港の湾外になごみの岬公園があり、海を背にして富山丸の慰霊搭が建っています。 脇に碑文があります。 昭和十九年六月二十九日早朝この丘の後方二粁の海上にて戦没せる輸送船富山丸の陸軍将兵並びに乗組員参千七百四柱の霊を慰めむ。そしてこの碑を建つ…

特攻平和慰霊碑(浅間/天城町)

浅間陸軍飛行場跡の案内板から平和通り(滑走路跡)の直線道路を北上した終点にあるのが特攻平和慰霊碑。石灯籠の先に大きな石碑が建っています。 昭和50年6月の建立とあります。 碑文には次のように書かれています。特攻平和慰霊碑の由来この地は、旧陸軍飛…

浅間陸軍飛行場跡(浅間/天城町)

幹線道路から空港入口交差点を少し入ったところに「浅間陸軍飛行場(滑走路)跡」の案内があります。 浅間陸軍飛行場(滑走路)跡浅間陸軍飛行場は、昭和18年11月から着工し、軍民一体となり工事を進め翌19年3月には、長さ1500m・幅60mの滑走路を有する飛行…

輸送船富山丸の供養塔(古仁屋)

古仁屋小学校の向い側の丘に登る坂道に「なごみ坂」という案内があります。 登っていくと、丘の突端が少し広くなっていて、そこに富山丸の供養塔が建っています。 この塔は昭和60年に建てられたものです。大島ではあまり見かけない特徴のある形をしています。…

須子茂小学校旧奉安殿(加計呂麻島の旧奉安殿)

加計呂麻島(旧実久村)に現存する3つの旧奉安殿の1つ、須子茂小学校の旧奉安殿です。体育館の左の方に神社風の屋根が見えます。深い樹木に囲まれた佇まいは、何となく厳かな感じです。 建物は階段を10段ほど登った壇の上にあり、他の小学校の奉安殿に比べ…

赤尾木送受信所の3つ目の無線塔

赤尾木送受信所の無線塔は前にも見たのだが、その時は3基残っていることは知らずに2基を見ただけだった。今回は前回見逃していたもう1つの無線塔を見てきた。 ※参照(過去記事)赤尾木送受信所の無線塔 - 「大奄美史」紀行 屋入りトンネルを抜けて赤尾木三叉…

海軍給水所跡(久慈)

久慈集落で地元の人に震洋隊基地の場所を聞いた時に、「こんなのもありますよ」と一緒に教えてもらったのが海軍給水所跡である。 集落手前の湾が一番切れ込んだところにあるのが水産物の水揚げ場らしく、建物やトラック、運搬具などが並んでいる。間を入って…

第44震洋隊格納壕跡と遭難者之碑(久慈)

瀬戸内町久慈の第44震洋隊基地跡を見に行く。 大島海峡には太平洋戦争末期、加計呂麻島の呑之浦に第17震洋隊、三浦に第18震洋隊、本島側の久慈に第44震洋隊と3つの震洋隊基地(特攻基地)があった。 ※第17震洋隊、第18震洋隊については過去記事参照震洋隊基…

行幸記念の鐘(久根津公民館)

久根津集落県道そばの久根津公民館がある広場(ミャー?)の一角に昭和天皇の行幸記念の鐘がある。 行幸記念の鐘を見るのは油井に続いて2カ所目である。油井では大きな木の枝に吊り下げられていたが、こちらは柱が組み立てられている。尤も見た感じでは、ど…

行幸記念碑もある屋鈍神社と路傍の石敢當

観光案内板の地図を参考に集落内を歩く。集落奥の山裾に屋鈍神社が鎮座している。 神社は大正5年に建立されている。扉が閉まっていて内部を見ることはできないが、シマダテの神とエビスを合わせて祀っているという。 社殿脇の境内の隅の方に小さな石碑が建…

『海南小記』に書かれた神高き集落(阿室)

平田の先は阿室。集落内には高木がそびえている。ヤシの1種だと思うが、南国らしい風景である。 奄美大島には西阿室、請阿室、阿室釜など阿室のつく地名が多い。阿室は「アムル」ともいい、「神降る」という意味があるそうだ。 アシャゲは、少し集落の中に入…

平田神社と行幸記念碑 (平田)

宇検村の焼内湾南側沿岸を西の方に進む。前に佐念モーヤのある佐念集落までは来たことがあるがそこから先は初めてである。地図をみると、平田、阿室、屋鈍と3つの集落が海岸に沿って点在している。 佐念を過ぎてしばらく行くと、タエン浜という海水浴場を通…

赤尾木送受信所の無線塔

赤尾木集落の背後の丘にちょっと変わった煙突のようなものがある。農道を通って周囲を1周してみた。 1つは蔦?のようなものがびっしりと貼りついていて、曇り空のせいか黒っぽく見えている。 近くまで行けるところはないかと探してみたが、灌木が深くて到…

海軍航空隊古仁屋基地跡の碑(須手)

古仁屋から小さな岬を回ってすぐ、海岸の方で大規模な工事が行われている。手前に須手公園という小さな公園がある。 公園の道路側、松の木陰のあまり目立たないところに海岸に背を向ける形で、碑が建っている。 碑には「海軍航空隊古仁屋基地跡」とあり、平…

大島の西端・西古見の掩蓋式観測所跡

朝虎松の碑の前を通り、西古見集落を抜けると西古見橋と書かれた橋がある。 小さいが頑丈そうな橋で、昭和13年11月竣工とあるから軍事用に架けられた橋なのだろう。 しばらく行くと道路わきに兵舎跡。 樹木や草に囲まれて半ば隠れてしまっている。かなり大き…

加計呂麻島の西端・山上の砲台陣地跡2(実久)

<前回の続き> 弾薬庫へ向かう途中に水の施設。。 安脚場戦跡にも同じようなものがあって天水槽と書かれていた。雨水溜めて浄化し、兵士に飲料水を供給するためのものだという。 その先に弾薬庫。これも安脚場と同じように入り口が2つ並んだ対称形だが、こ…

加計呂麻島の西端・山上の砲台陣地跡(実久)

加計呂麻戦跡シリーズの最後は実久の砲台陣地です。東シナ海に面した山の上にあります。 実久集落の一番奥にある兵舎跡。ここまでは前に来たことがある。 ※参照(過去記事) 実久の兵舎跡 - 「大奄美史」紀行 以前は集落の保育所として使われていたことがあ…

モン崎の旧日本軍陣地跡

加計呂麻戦跡シリーズ?の3つ目は、須古茂集落と阿多地集落の間のモン崎という岬の先端にある旧日本軍の陣地跡です。だんだんワイルドになってきます。 モン崎へ行く前に須古茂のミャー(広場)で休憩。ここは加計呂麻の中でも古いシマの姿を色濃く残している…

艦船給水ダム跡を再訪その2 (三浦)

***<前回の続き>*** もう一度堤防の上に戻り、右側からダムの側面に回り込む。藪の中に1辺が3~4メートルくらいの四角いコンクリートの台がある。 上に建造物は何も残っていないが、ダムの監視所のようなものがあったのだろうか。空からの偵察や攻撃を警戒…

艦船給水ダム跡を再訪(三浦)

前回に続いて加計呂麻の戦跡です。今回は三浦集落の先の山中にある旧日本海軍の艦船給水用ダム跡です。以前にも来たことがあり、その時は貯水池を眺めただけでしたが、今回はダムの取水口なども含めて全体を観察することができました。※参照(過去記事) 艦…

第十七震洋隊基地跡(三浦)

加計呂麻の戦跡調査の方々の一行に同行させてもらう機会があり、島内何カ所かの戦跡を回ることができました。自力ではなかなか難しいところばかりです。今回は三浦にある第十七震洋隊基地跡です。 俵集落と三浦集落の間の県道から海岸の方へ降りて行き、水産…

大和村にも奉安殿があった!(今里小中学校旧奉安殿)

大和村南西端の今里集落にある今里小中学校の校舎の後ろ、裏山の石垣との間に、旧奉安殿が残されている。 近づいてみると思ったより大きい。基壇の部分も広くてどっしりとしていて、高さもあって威圧される感じがある。 脇に説明がある。 今里小中学校旧奉安…

陸軍弾薬庫跡 (手安)

海岸から少し山側に入ったところ、右側は自動車学校で、突き当り奥の方は防災工事中らしく車両が出入りしていて資材が積み重なっている。弾薬庫跡は左側にあり、入口の山肌は樹木に覆われていて天然の偽装になっている。 脇に案内がある。旧陸軍弾薬庫跡この…

海軍特攻基地跡(屋入)

瀬留教会の前に「歴史とロマンの散歩道」という案内板があり、「ウィヒサマタ」「海軍特攻基地跡」「銅山跡」というのが、竜郷湾の東岸の屋入というところに重なるようにポイントされている。 竜郷湾の西岸は西郷南洲住居跡などいくつか名所があるが、東側は…

実久の兵舎跡

実久に旧軍の兵舎や弾薬庫跡があると聞き、場所も教えてもらったので、早速行ってみた。 集落を海岸沿いに進み、突き当りの堤防に出る手前を左の方に入る。道路はきれいで、最近できたばかりのようだ。程なく黒っぽいコンクリート塀に囲まれた建物が見えてき…

断崖の要塞・安脚場戦跡 その2

***前回から続く*** こちらは弾薬格納庫。大正9年に小銃、機銃の弾薬を格納するため陸軍が構築、太平洋戦争時は海軍が兵器庫として使っていたという。 屋根は露出していて(偽装はしていたのだろうが)、砲弾用の弾薬庫に比べると堅牢さはかなり違うようだ。…

断崖の要塞・安脚場戦跡 その1

県道安脚場実久線の東端に安脚場戦跡公園の案内がある。安脚場の集落を迂回して、海岸に出てから堤防沿いの道路を行く。 舗装された道路を登ると駐車場。ここから見る大島海峡の景色も美しい。 さらに上の方に登る道がある。横に案内板。 案内板の説明を読ん…

大島海軍防備隊跡(2) 大島輸送隊慰霊碑 (瀬相)

***前回の続き*** 大きな慰霊碑の左側に少し離れて2基の碑がある。 大きい方は「大島輸送隊奮戦記概要」と題した碑文で昭和59年の建立である。 読み取りづらい個所もあり、多少要約しながら転載する。第17号一等輸送艦は甲標的T型特殊潜航艇2隻と武器弾薬糧…

大島海軍防備隊跡(1)  (瀬相)

県道の広い坂道を降り、瀬相集落に入る手前を右折して海岸沿いに進む。工事中で土砂が積み上がっている個所を過ぎると、先の方に松の樹に囲まれた広場が見える。 広場まで行くとまず目に入るのが大きな慰霊碑。特に台座が大きい。 右手前に「建立の精神」と…

旧木慈小学校奉安殿

瀬戸内町に残る6つの奉安殿の1つ、木慈小学校の奉安殿を見に行く。県道から墓地の横の道路を入っていくと、川を渡った先の突き当りに小学校の校門がある。 既に廃校になっているが、右側の門柱には「瀬戸内町立木慈小学校」のプレートが残っていて、何故か…

艦船用給水ダム跡 (三浦)

三浦集落から武名方向へ50mほど先の県道沿いに「艦船用給水ダム跡」の案内がある。山の中に入っていくと突き当りに車両進入禁止の札が立てられていて、手前に駐車できるスペースがある。 小さな橋を渡って水路沿いの道を徒歩で先に進む。 歩き始めてすぐのと…

東郷元帥上陸記念碑 (安脚場)

渡連方面から県道を下りて海岸に出る手前に安脚場戦跡公園の案内がある。戦跡公園へは集落を迂回して海岸沿いにいくようになっている。そのまま集落の方に進んでいくと「東郷元帥上陸の碑」の案内がある。何故か先端が上を向いている。 その奥がミャーで公民…

震洋隊基地跡その2 (呑之浦)

***前回の続き*** 遊歩道から海岸に降りて、岬の先端の方に向かって進んでいくと、やがて視界が開けてくる。先の方の対岸には古仁屋らしき町の建物が見える。 これは基地の北門があったところのようだ。 映画『死の棘』(小栗康平監督)にこんな場面がある。…

震洋隊基地跡 (呑之浦)

島尾敏雄文学碑から遊歩道を先に進む。 少し行くと震洋のレプリカが置かれた格納壕がある。 前に案内板。 震洋 昭和19年4月、軍令部から頽勢挽回用として提案された一から九までの特殊兵器のうちの一つで、マル六の回天とともに実用されたのがマル四の震洋で…

江仁屋離で離島防衛訓練

新聞を読んでいると、離島奪還を想定した上陸訓練の記事があったので、今回は江仁屋離について。(内容は新聞記事とは直接関係ない) 江仁屋離(えにやばなれ)は加計呂麻島の西にある無人島。瀬戸内町実久に属しているが、実久集落からは岬に遮られていて直…

節子小学校・奉安殿

節子集落に入って一番奥の方T字路の突き当りに節子小中学校がある。廃校(休校か?)になっている。 中に入ると、創立百周年の記念碑がある。 碑文によると明治19年の創立とある。古仁屋小学校よりもこちらの方が3年早い。 奉安殿は正面奥のほうにある。 瀬…

昭和天皇行幸 (6)大島海峡

***前回の続き*** 帰艦後は板附船競争を観戦される。夜は提灯行列が行われ、海岸では篝火が焚かれ煙火が打ち上げられたいうから、大変な騒ぎだったようだ。 この日午後一時半より御旅情を慰め奉る余興として、青年団や在郷軍人団の選手によって大島特有の板…

昭和天皇行幸 (5)古仁屋小~展望所

***前回の続き*** 要塞司令部を御出門され、古仁屋小学校へ。 画像はNDL近代デジタルライブラリーから(以下同じ) こちらは現在の古仁屋小学校。 校内に入って職員室におられた先生に行幸記念碑について尋ねてみると、案内されたのは奉安殿であった。名瀬小…

昭和天皇行幸 (4)古仁屋ご上陸

*** 名瀬の次は次は古仁屋編 *** 昭和2年8月6日、名瀬港を出発した御召艦は大島海峡を通って午後7時古仁屋港に入り、翌日ご上陸された。 高知山から大島海峡(油井小島、薩川湾方向)を見る。 同じく高知山から古仁屋市街地方向。 古仁屋での日程は以下の通…

昭和天皇行幸 (3)御神山

***前回の続き*** 名瀬尋常高等小学校を出て御神山に登られる。この時満年齢でいえば26歳、猛暑のはずであるが、さすがに颯爽としておられる。 御神山入口の地図で、行幸広場の場所を確認して登ってみる。 木立の間の小道を登る。 しばらく行くと道が分か…

昭和天皇行幸 (2)名瀬小学校

***前回の続き*** 天皇御一行は大島市廰を出て名瀬尋常高等小学校へ。御座所で校庭に集まった児童の奉迎を受ける。 郡内二十九校五千名の児童による万歳三唱。 こちらは現在の名瀬小学校。 名瀬小学校は明治5年に名瀬郷校として設立、明治8年に名瀬小学校に…

昭和天皇行幸 (1)名瀬ご上陸

昭和2年の昭和天皇の大島行幸の足跡を辿ってみる。 これは先史時代から始まった『大奄美史』に書かれている最後の歴史的イベントである。 昭和二年八月六、七、八日は天皇陛下の行幸を仰いだ歴史的記念日として奄美島民の永遠に忘るべからざる光栄の日であ…