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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

名瀬

赤木名観音堂跡(名瀬永田墓地)

永田墓地に赤木名観音堂跡があるというので行ってみる。大島支所の橋の手前から入って行くが、墓地は広大でずっと奥の方まで続いていてどの辺にあるのか見当がつかない。管理人事務所(民家)の庭先にいる人に尋ねてみると、一旦家の中に入りしばらくして鎌…

一村のウオーキングロードでお花見 (本茶峠)

桜が見ごろだという本茶峠を通ってみた。名瀬側から峠道に入るとすぐに道路わきに緋寒桜が咲いているのが見えてくる。1ヵ所に何10本もまとまって咲いているのではなく、カーブを曲がるごとに次々と切れ目なく数本~10数本の桜が現れる。 ※写真は1月末 交通量…

芦花部一番バア加那の碑 (芦花部)

芦花部(あしけぶ)は海に面していない山あいの集落。通りに「芦花部一番バア加那の碑」と書いた大きな案内がある。 県道に車を停めて徒歩で集落に入って行く。 途中に、ばあ加那の住居跡。 ブロック塀に囲まれた屋敷跡に入ると、すぐ左に石碑が建っている。…

有良厳島神社・石祠と恵比寿像

大熊から海岸沿いに坂を登ると、防波堤に護られて深く切れ込んだ湾に面した名瀬の街が望める。 道は山の中に入り、奄美カントリーを過ぎてしばらく山を下りていくと前方に海が見えてくる。 山裾の少し高い所を通っている県道から集落に入る道を降りていく。…

弁財天神社(根瀬部)

知名瀬方面から小さいトンネルを抜けると根瀬部という集落で、大和村との境界に位置している。海岸沿いの県道から集落内に入っていく。集落の中を通過して県道に戻る直前に神社の鳥居が見つかった。 鳥居の先の石段を登ると境内奥に社殿がある。コンクリート…

鉄輪車だけじゃなかった柏有度・墓碑と石灯籠(知名瀬)

小宿を過ぎて山道に入ると、行き交う車が一気に少なくなる。沿道は松くい虫の被害が目立つ。峠を降りて集落に入る手前の県道そばにやや小さ目の墓地がある。 墓地入り口のすぐ右が柏有度の墓碑。道路側に背を向けている。 右側が墓碑。各面に文字が刻まれて…

島尾敏雄旧居・文学碑 (名瀬)

奄美図書館で、旧図書館敷地内にあった島尾敏雄の記念碑が今はどこにあるのか聞いてみたところ、「元の図書館の場所にあります」とのこと。現在の図書館から徒歩で10分足らず、古田町の交差点から入って川を渡ったところで、すぐに見つかった。 道路に面して…

厳島神社と弁才天像 (小湊)

小湊集落の外れまで来ると、先の方の山腹に赤い鳥居が見える。橋を渡って細い道を入っていく。突き当りで車を停めて参道を登る。 鳥居を過ぎてもきれいな参道が続く。階段の両側が舗装された斜面になっていて、車でも登れないことはなさそうだ。(対向車がき…

小湊フワガネク遺跡

名瀬市街から朝戸トンネルを抜け、国道から分岐して山あいを進んだ突き当りが小湊である。こちらは太平洋側で、ここまで来ると同じ名瀬市(旧)とは思えない。古くはこの地域は古見方といい、名瀬方とは別の行政区域であった。明治41年に統合して名瀬村、大…

丸田兼義翁頌徳碑(名瀬高千穂神社)

名瀬の高千穂神社を訪ねた際、境内に「丸田兼義翁頌徳碑」と書かれた石碑があった。高千穂神社を紹介したブログでは、碑の写真だけ載せて内容はスルーしてしまったが、大島紬の歴史に欠かせない人物であり、改めてここで取り上げることにする。 丸田兼義は安…

龍王神社/観音堂 (大熊)

県道から大熊の集落の中に入っていくと、右側に大きな鳥居と石段が見えてきて、ここが目指す大熊龍王神社だとすぐに分かる。 鳥居は昭和46年奉納とあるが、それにしては真新しい感じがする。 鳥居の先に龍王神社と観音堂の案内がある。 龍王神社の案内の方を…

田中一村終焉の地(名瀬有屋町)

国道58号和光バイパスから道路脇の案内の通り住宅街に入っていく。「田中一村終焉の家」と書いた木製の案内板を左折して、緩い坂を少し登った住宅地のはずれの閑静な山の麓に、一村が最期を迎えた家がある。 入口の石碑に碑文が書かれている。 一部を抜粋す…

名瀬地区史跡マップ

このブログで紹介した名瀬地区(奄美市名瀬)の史跡マップです。 より大きな地図で 名瀬地区史跡 を表示 この後も随時更新していきます。

昭和天皇行幸 (3)御神山

***前回の続き*** 名瀬尋常高等小学校を出て御神山に登られる。この時満年齢でいえば26歳、猛暑のはずであるが、さすがに颯爽としておられる。 御神山入口の地図で、行幸広場の場所を確認して登ってみる。 木立の間の小道を登る。 しばらく行くと道が分か…

昭和天皇行幸 (2)名瀬小学校

***前回の続き*** 天皇御一行は大島市廰を出て名瀬尋常高等小学校へ。御座所で校庭に集まった児童の奉迎を受ける。 郡内二十九校五千名の児童による万歳三唱。 こちらは現在の名瀬小学校。 名瀬小学校は明治5年に名瀬郷校として設立、明治8年に名瀬小学校に…

昭和天皇行幸 (1)名瀬ご上陸

昭和2年の昭和天皇の大島行幸の足跡を辿ってみる。 これは先史時代から始まった『大奄美史』に書かれている最後の歴史的イベントである。 昭和二年八月六、七、八日は天皇陛下の行幸を仰いだ歴史的記念日として奄美島民の永遠に忘るべからざる光栄の日であ…

稲荷神社 (名瀬矢之脇町)

名瀬中心街から県道を北上して大島石油の手前を左折すると、弁天山を背にして稲荷神社がある。 鳥居も何も見当たらず、空地のようなところに社殿が2つ建っている。 前に大島青年会議所による「稲荷神社の由来」と書いた案内がある。 全国的には、稲荷神社は…

白糖工場跡 (名瀬らんかん山)

前回に続いて白糖工場跡で、今回は名瀬へ。 矢之脇の検察庁名瀬支部から山を回るようにして、地図で見当をつけておいた小道を入っていくと、らんかん公園の入口に着いた。 らんかん公園と書いた石柱の向こうに案内板がある。やや掠れている。 慶応年代の白糖…

教会発祥地の碑 (末広町)

永田橋通りから細い通りを入って市場の隣の駐車場に、「奄美大島カトリック教会発祥之地」の碑が建っている。 小さな駐車場の片隅のほとんど目立たないところにあって、すぐ横のブロック塀には駐車場の看板が貼り付けられている。(こちらの方が何倍も目立っ…

フェリエ神父胸像 (名瀬聖心教会)

名瀬市街を散策していると立派な教会があったので、何気なく中を見るとフェリエ神父と書かれた胸像が目に付いた。教会の門はオープンになっていたので、中に入って写真を撮影させてもらう。 台座には「ヘルナルド・フェリエ神父」、またその下には、 もし一…

高千穂神社 (井根町)

屋仁通りから地図を頼りに左折して、2回ほど道を聞いてようやく高千穂神社に辿り着く。住宅街のすぐそばに大きな鳥居と広い石段がある。 階段を登っていくと、参道中ほどに少し広くなったところがあり、丸田兼義翁頌徳碑が建っている。 さらに石段の上に、二…

名越左源太 居住地跡 (小宿)

薩摩藩のお家騒動から大島に遠島になった名越左源太の住んでいた跡が小宿というところにあるという。名越左源太は「南島雑話」の著者として有名である。 奄美博物館で名越左源太の場所をを尋ねてみる。正確な場所は分からないが一度行ったことがあるとのこと…

丸田南里の墓 (井根町)

井根町の辺りを歩いていて偶然、電柱に丸田南里墓と書かれた案内を見つける。奥の白い手すりの階段の上に墓地がある。 墓地の一番奥の階段を上がる。 墓碑とその隣に石仏がある。墓碑中央に「丸田南里」と彫られているが、両側の文字は読みとれない。石仏が…

有盛神社 (浦上)

有盛神社に祭られる平有盛は、平重盛の四男で資盛の異母弟、行盛の従兄弟にあたる。 名瀬方面から行くと、和光トンネルを通るバイパスと国道58号が合流する交差点を右折、すぐに左折すると小高い丘の上に神社の鳥居が見える。ここが有盛神社でこんもりとした…

南洲神社 (芦花部)

名瀬市街と今井崎の中間あたりの山あいの集落、芦花部というところに南洲神社がある。 通りに南洲神社の案内がある。 住宅地の道路を入っていくと立派な鳥居が建っている。 参道の階段を登ったところが境内で奥に社殿がある。 拝殿はコンクリート作りで、壁…