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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

加計呂麻

須子茂小学校旧奉安殿(加計呂麻島の旧奉安殿)

加計呂麻島(旧実久村)に現存する3つの旧奉安殿の1つ、須子茂小学校の旧奉安殿です。体育館の左の方に神社風の屋根が見えます。深い樹木に囲まれた佇まいは、何となく厳かな感じです。 建物は階段を10段ほど登った壇の上にあり、他の小学校の奉安殿に比べ…

加計呂麻島の西端・山上の砲台陣地跡2(実久)

<前回の続き> 弾薬庫へ向かう途中に水の施設。。 安脚場戦跡にも同じようなものがあって天水槽と書かれていた。雨水溜めて浄化し、兵士に飲料水を供給するためのものだという。 その先に弾薬庫。これも安脚場と同じように入り口が2つ並んだ対称形だが、こ…

加計呂麻島の西端・山上の砲台陣地跡(実久)

加計呂麻戦跡シリーズの最後は実久の砲台陣地です。東シナ海に面した山の上にあります。 実久集落の一番奥にある兵舎跡。ここまでは前に来たことがある。 ※参照(過去記事) 実久の兵舎跡 - 「大奄美史」紀行 以前は集落の保育所として使われていたことがあ…

モン崎の旧日本軍陣地跡

加計呂麻戦跡シリーズ?の3つ目は、須古茂集落と阿多地集落の間のモン崎という岬の先端にある旧日本軍の陣地跡です。だんだんワイルドになってきます。 モン崎へ行く前に須古茂のミャー(広場)で休憩。ここは加計呂麻の中でも古いシマの姿を色濃く残している…

艦船給水ダム跡を再訪その2 (三浦)

***<前回の続き>*** もう一度堤防の上に戻り、右側からダムの側面に回り込む。藪の中に1辺が3~4メートルくらいの四角いコンクリートの台がある。 上に建造物は何も残っていないが、ダムの監視所のようなものがあったのだろうか。空からの偵察や攻撃を警戒…

艦船給水ダム跡を再訪(三浦)

前回に続いて加計呂麻の戦跡です。今回は三浦集落の先の山中にある旧日本海軍の艦船給水用ダム跡です。以前にも来たことがあり、その時は貯水池を眺めただけでしたが、今回はダムの取水口なども含めて全体を観察することができました。※参照(過去記事) 艦…

第十七震洋隊基地跡(三浦)

加計呂麻の戦跡調査の方々の一行に同行させてもらう機会があり、島内何カ所かの戦跡を回ることができました。自力ではなかなか難しいところばかりです。今回は三浦にある第十七震洋隊基地跡です。 俵集落と三浦集落の間の県道から海岸の方へ降りて行き、水産…

実久の兵舎跡

実久に旧軍の兵舎や弾薬庫跡があると聞き、場所も教えてもらったので、早速行ってみた。 集落を海岸沿いに進み、突き当りの堤防に出る手前を左の方に入る。道路はきれいで、最近できたばかりのようだ。程なく黒っぽいコンクリート塀に囲まれた建物が見えてき…

断崖の要塞・安脚場戦跡 その2

***前回から続く*** こちらは弾薬格納庫。大正9年に小銃、機銃の弾薬を格納するため陸軍が構築、太平洋戦争時は海軍が兵器庫として使っていたという。 屋根は露出していて(偽装はしていたのだろうが)、砲弾用の弾薬庫に比べると堅牢さはかなり違うようだ。…

断崖の要塞・安脚場戦跡 その1

県道安脚場実久線の東端に安脚場戦跡公園の案内がある。安脚場の集落を迂回して、海岸に出てから堤防沿いの道路を行く。 舗装された道路を登ると駐車場。ここから見る大島海峡の景色も美しい。 さらに上の方に登る道がある。横に案内板。 案内板の説明を読ん…

諸鈍シバヤ(大屯神社祭)は素晴らしかった (2)

***前回から続く*** 休憩中に出演者たちが箱を担いで現れる。 観客に配られたのが力飯。食べると1年間は無病息災とのこと。 さて、後半も見せ場が続く。 【こどもシバヤ】演じるのはこの地区の保育所に通う男の子たちである。20年後、30年後の諸鈍シバヤを担…

諸鈍シバヤ(大屯神社祭)は素晴らしかった  (1)

10月2日(旧暦9月9日)秋晴れの下、大屯神社で諸鈍シバヤを堪能した。いつも見て回っている大島の史跡は、碑だけだったり、草むらの中の石だけだったり(それもいいものだが)というのが多かったが、これは今も脈々と生き続けている伝統芸能だ。 前日から当…

大島海軍防備隊跡(2) 大島輸送隊慰霊碑 (瀬相)

***前回の続き*** 大きな慰霊碑の左側に少し離れて2基の碑がある。 大きい方は「大島輸送隊奮戦記概要」と題した碑文で昭和59年の建立である。 読み取りづらい個所もあり、多少要約しながら転載する。第17号一等輸送艦は甲標的T型特殊潜航艇2隻と武器弾薬糧…

大島海軍防備隊跡(1)  (瀬相)

県道の広い坂道を降り、瀬相集落に入る手前を右折して海岸沿いに進む。工事中で土砂が積み上がっている個所を過ぎると、先の方に松の樹に囲まれた広場が見える。 広場まで行くとまず目に入るのが大きな慰霊碑。特に台座が大きい。 右手前に「建立の精神」と…

ウブスナ様とゴンゲン (諸数)

県道のそばにある諸数のミャーには、海を背にして小さな祠が建っている。 祠とはいうものの、しっかりとした造りのきれいな建物である。消防格納庫に近づきすぎているのがちょっと残念だ。 元は小さなサンゴ石をエビス様として祀っていたが、これを昭和5,6年…

加計呂麻島史跡マップ

このブログで紹介した加計呂麻島の史跡マップです。 より大きな地図で 加計呂麻島史跡 を表示 この後も随時更新していきます。

旧木慈小学校奉安殿

瀬戸内町に残る6つの奉安殿の1つ、木慈小学校の奉安殿を見に行く。県道から墓地の横の道路を入っていくと、川を渡った先の突き当りに小学校の校門がある。 既に廃校になっているが、右側の門柱には「瀬戸内町立木慈小学校」のプレートが残っていて、何故か…

武名のガジュマル

武名集落の県道わきに「武名ガジュマル Takena Gajumaru」と書いた矢印の案内があったので車を停めて入ってみた。 すぐ先にミャーがある。左側に公民館、中央奥にアシャゲがあって中央の土が盛り上がっているところが土俵らしい。 この土俵はほとんど形が崩…

ガジュマルの大木 (於斉)

ガジュマルの大木は於斉の海岸道路沿いにあり、場所は分かりやすい。 手前に「男はつらいよ・ロケ記念地」の碑がある。碑には「満男(吉岡秀隆)を乗せたリリー(浅丘ルリ子)の車がディゴ並木を走り抜ける」とある。映画の場面ではディゴと一緒にこのガジュ…

もう1つの鎮西村役場跡 (於斉)

於斉に鎮西村役場跡があるというので行ってみた。海岸沿いの道路から瀬相方面へ向かう道路(トンネルのない方)を入ると、小さな川を渡る直前に斜め右の方へ行く道がある。車を降りてそちらの方に入っていく。 両側から薄の垂れ下がる小道が山の麓までまっす…

押角で鎮西村役場跡を探すが・・・

加計呂麻島が鎮西村と実久村に分かれていた頃、押角に鎮西村役場、瀬武に実久村役場があった。瀬武に役場跡が残っているなら、押角にも何らかの痕跡があるのではないかと思って行ってみた。 ※参照 実久村役場跡 (瀬武) - 「大奄美史」紀行 大体の見当をつ…

艦船用給水ダム跡 (三浦)

三浦集落から武名方向へ50mほど先の県道沿いに「艦船用給水ダム跡」の案内がある。山の中に入っていくと突き当りに車両進入禁止の札が立てられていて、手前に駐車できるスペースがある。 小さな橋を渡って水路沿いの道を徒歩で先に進む。 歩き始めてすぐのと…

ディゴ並木・紅の花 (諸鈍)

諸鈍長浜公園からディゴ橋という小さい橋を渡ると堤防沿いにディゴ並木が続いている。 入口に案内がある。 ディゴ並木(瀬戸内町天然記念物)樹令300有余年からなる85本のディゴ並木は毎年5月~6月にかけ真紅の花を咲かせ島の情緒を呈し昭和53年から町…

諸鈍長浜の風景

生間からアハンティを越えて大屯神社の前を通り、小中学校のところで右の方に入ると、海岸に出る手前に諸鈍長浜公園がある。 公園内は広く、木陰にベンチなども置かれていて、海を見ながら涼むには絶好の場所である。公園内には「男はつらいよ・寅次郎紅の花…

林家屋敷跡 (諸鈍)

浜沿いにディゴの並木が続くカネクと呼ばれる地区のほぼ中央に、かつて島役人を務め隆盛を誇った諸鈍の名家林家の屋敷跡がある。 正面の浜に面した石垣。右側がディゴ並木。 正面の門があったところ。石垣が一部崩れている。 門の中は樹木が生い茂っていて荒…

渡連のゴンゲンと相撲の神様

渡連集落の手前(生間寄り)に小さな岬がある。県道が小高くなったところに鳥居が建っていてここがゴンゲンへの登り口になっている。 他のゴンゲンと同様、かなりの急坂である。 やがて少し広くなった場所に着く。上の方に松など数本の樹木に囲まれた祠が見…

東郷元帥上陸記念碑 (安脚場)

渡連方面から県道を下りて海岸に出る手前に安脚場戦跡公園の案内がある。戦跡公園へは集落を迂回して海岸沿いにいくようになっている。そのまま集落の方に進んでいくと「東郷元帥上陸の碑」の案内がある。何故か先端が上を向いている。 その奥がミャーで公民…

摩文主一族の墓 (渡連)

渡連の集落に入る手前、県道から海岸の方向に向かう小道がある。入っていくとすぐに墓地が見える。 奥の方に入っていくと、古くて立派な墓石がいくつも並んでいる。 これらの墓石群は摩文主一族の墓で、この辺りはウフダッチョと呼ばれているという。年号が…

龍宮神社と徳浜の海岸

徳浜へは諸鈍から峠を越えて行く。集落に降りる手前の見晴らしのいいところに「くじらの見える丘」という看板が立っている。 広大な海が見える。海の向こうに何も見えないという景色は加計呂麻では珍しい。ほとんどの集落は湾や入江の奥にあり、必ず岬の先っ…

諸鈍長浜歌碑 (諸鈍)

諸鈍集落の入口、大屯神社の向かい側に地蔵さんと諸鈍長浜の碑が建っている。大島ではお地蔵さんはちょっと珍しい。 歌碑の背後には諸鈍湾が見えている。 諸鈍長浜諸鈍ぬ長浜に 打上ぐぃ引く波や諸鈍みやらぶぃ(娘)ぬ 笑い歯ぐき 諸鈍ぬ長浜や 大和がでぃ…

大屯神社その2 (諸鈍)

***前回の続き*** 大屯神社で最も「神社らしさ」を感じるのは社殿前の狛犬である。有盛神社にも行盛神社にも狛犬はないし、大島の神社で狛犬を見ることは滅多にない。加計呂麻では西阿室の厳島神社にもあるが、こちらの大屯神社の方がやや風化している分、歴…

大屯神社 (諸鈍)

大島へ落ちのびた平家武将ゆかりの5つの神社のうち、一番南にあるのが平資盛を祀る大屯(おおちょん)神社である。フェリーの発着する生間港から、県道を横切ってアハンティと呼ばれている小さな峠を越える。舗装された道路が山を切り裂いて通っていて、便…

むちゃ加那節の歌碑その2 (生間・むちゃ加那公園)

***前回の続き*** 有名なむちゃ加那節であるが、この物語は、古い話が口から口へ伝わってきたために、いくつかのバージョンがあるようだ。 『大奄美史』では「うらとみ節」として、この話を紹介している。大島が薩摩の支配に帰して間もない頃、代官の権勢は…

むちゃ加那節の歌碑 (生間・むちゃ加那公園)

フェリー「かけろま」が生間の港に近づくと、左手にこんもりと突き出した岬が見える。むちゃ加那公園はその突端近くにあり、薩摩藩統治下の代表的な悲歌であるむちゃ加那節の歌碑が建てられている。 生間港から県道を通り、集落を出て渡連方面へ向かって坂道…

震洋隊基地跡その2 (呑之浦)

***前回の続き*** 遊歩道から海岸に降りて、岬の先端の方に向かって進んでいくと、やがて視界が開けてくる。先の方の対岸には古仁屋らしき町の建物が見える。 これは基地の北門があったところのようだ。 映画『死の棘』(小栗康平監督)にこんな場面がある。…

震洋隊基地跡 (呑之浦)

島尾敏雄文学碑から遊歩道を先に進む。 少し行くと震洋のレプリカが置かれた格納壕がある。 前に案内板。 震洋 昭和19年4月、軍令部から頽勢挽回用として提案された一から九までの特殊兵器のうちの一つで、マル六の回天とともに実用されたのがマル四の震洋で…

江仁屋離で離島防衛訓練

新聞を読んでいると、離島奪還を想定した上陸訓練の記事があったので、今回は江仁屋離について。(内容は新聞記事とは直接関係ない) 江仁屋離(えにやばなれ)は加計呂麻島の西にある無人島。瀬戸内町実久に属しているが、実久集落からは岬に遮られていて直…

島尾敏雄文学碑その4 (呑之浦)

***前回の続き*** 島尾敏雄文学碑の後方、一段高くなったところに、島尾敏雄、ミホ夫人、長女マヤのお骨が納められた碑が建っている。 石塔には、「島尾敏雄・ミホ・マヤこの地に眠る」と彫られている。 島尾敏雄は昭和61年に69歳で死去。ミホ夫人はその20年…

島尾敏雄文学碑その3 (呑之浦)

***前回の続き*** 『はまべのうた』 峠の上に出ると、眼さきはからりとひらけて近くの島の山々は幾重にもむらさき色にかさなり、遠くの島かげは心に遠くうす墨ではいたようにかなたの水平線に浮び上がってまるで絵のようでありました。そして片方のふもとに…

島尾敏雄文学碑その2 (呑之浦)

***前回の続き*** 島尾敏雄文学碑に戻る。 正面左に「島尾さん、あなたの声は」と題する小川国夫の碑文があり、後方に島尾敏雄の5つの作品を刻んだプレートが円形に配置されている。 ここ呑之浦での特攻隊長としての極限状況下での戦争体験は、島尾文学の原…

島尾敏雄文学碑 (呑之浦)

呑之浦トンネルが開通したため今は県道の迂回路になってしまった旧道の方に、島尾敏雄文学碑記念公園への入り口がある。入口案内板には、島尾敏雄三回忌を期して文学碑建立が具体化し、1988年7月に建立委員会が発足、文学愛好家、郷土出身者、震洋隊関係者、…

加計呂麻唯一の教会 (西阿室)

集落のほぼ真ん中辺りの土俵に近いところに、加計呂麻で唯一のカトリック教会がある。他の集落でアシャゲやトネヤ、ゴンゲン、神社ばかり見慣れてきた目には、かなり斬新な建物に見える。ただ笠利や名瀬の教会のように、周囲を威圧するように聳え立つ豪壮な…

厳島神社 (西阿室)

西阿室小学校の右側から細い道を入っていくと、右側に立派な鳥居がある。秋葉権現が集落から離れた山の中腹にあるのに対して、厳島神社は人家に隣接している。厳島神社の社額があり柱には昭和十四年二月建立と刻まれている。参道に張り出した枝が見事だ。 石…

見晴らし最高の秋葉権現神社(西阿室)

海岸から見ると山の中腹に鳥居がある。墓地のそばの細い道を入っていくと「参道改修記念碑」が建っていて、参道はよく整備されている。神社はかなり高いところにあり坂道を登っていく。 やがて石段の上の大きな鳥居が見えてくる。 境内もきれいに整備されて…

西阿室のシンボル・立神

西安室集落に入って小学校の前を通り抜けていくと、突き当りに土俵がある。屋根付きでブルーの柱の立派な土俵である。 そばには郵便局。加計呂麻で4局しかない内の1つだ。ちなみに西阿室は戦前には人口が1000人を超えていた時期もあったようだ。現在は100人…

近代的なアシャゲとトネヤ (瀬相)

瀬相集落南側交差点のそばの緑地から奥の方に入っていくと、土俵から少し離れたところにアシャゲとトネヤがある。どちらもきれいで立派な建物である。 これはアシャゲで骨組みが堅固そうだ。軒に大きな字で「アシャゲ」と書かれている。 古いアシャゲの写真…

鳥居が黄色い瀬相権現神社

瀬相集落南側の交差点を西安室方面へ少し入ったところに鳥居があって広い石段が続いている。社額などはないが、脇の小さな碑に「瀬相権現神社修復記念碑」とあるので、瀬相権現神社という社名だと分かる。権現とはいっても須古茂で見たような素朴なゴンゲン…

武家屋敷跡(瀬武)

武家屋敷と書いて「たけけやしき」と読む。「ぶけやしき」と読んでしまうと後の話が続かない。 県道から高千穂神社の方に向かう途中、右側樹木の間に石垣が見える。 石段には雑草が生え、石垣にツルが絡まっていてちょっと廃墟っぽい雰囲気がある。後から瀬…

木慈の垣漁跡

木慈集落東側の県道沿いの海岸に垣漁の跡が残されている。 垣漁は満潮時に石垣内に入った魚を干潮時に捕まえるという漁法である。波は静かで潮が引いて海底が露出しているが、こういう地形が適しているのだろう。戦後もしばらくはこの漁法が行われていたよう…

実久村役場跡 (瀬武)

昭和31年の町村合併で瀬戸内町ができる前、瀬武には旧実久村の役場があった。集落の中心付近、県道沿いのバス停のそばに役場跡がある。 二本の門柱が残っている。右側の門柱には「實久村役場」と書かれた表札が残っている。中は空地になっていて、左の建物は…