「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

高千穂神社の境内社・護国神社(亀津/徳之島町)

高千穂神社の境内の鳥居の先の方に、もう1つの神社があります。鳥居は黒ずんでいて年代を感じさせます。 これは高千穂神社の境内社・護国神社です。明治30年に建立されたもので、日清戦争以後の英霊を祀っています。 護国神社は国家のために殉職した人の霊を…

亀津・高千穂神社(徳之島町)

徳之島の神社の中でも、一番格式が高そうな神社ですね。鳥居の下は、普通に車や人がの通る生活道路です。 二番目の鳥居から、かなり長い参道の石段を登ります。 ここは三十三聖地旧跡の三十三番拝所。亀徳から島を1周して、ここが最後の拝所です。札所巡りだ…

トーチ墓と金毘羅神社(亀津/徳之島町)

「殿地墓・金毘羅神社入口」と書いた案内から、石垣の間の細い路地を抜けていくと、殿地(トーチ)墓のある場所に出ます。 墓は何段かになっていて、上の方は草むらの中にいくつかの墓が点在しています。 中段の辺りににあるのは、祠堂型墓、五輪塔、宝篋印…

金毘羅さんも祀る亀津の秋葉神社 (徳之島町)

亀津市街地の北の方、山際の道路沿いに、秋葉神社の鳥居と参道の石段があります。 案内によると、この神社の場所に、文化元年(1804)に讃岐の金毘羅宮の祭神大物主命(おおものぬしのみこと)と崇徳天皇を勧請して神殿を建てたとの文献があるそうです。江戸…

亀津断髪の碑(亀津中学校)

大瀬川沿いの亀津中学校の校舎の前に、亀津断髪の碑(塔?)というのがあります。 亀津断髪と書かれていいます。昭和42年の卒業生が卒業記念として寄贈したそうです。まだほとんど傷んでなくて、真新しいように見えます。 断髪令(正式には散髪脱刀勝手令)が…

徳之島代官所跡(亀津/徳之島町)

大瀬川の少し南側、海岸から山側に伸びる直線道路の突き当り近くに、代官所跡の案内があります。 右に新しい説明板、左に少し古い銅板の説明板があります。 銅板の方は光が反射して、鏡のようになってしまっています。書いてある内容は、どちらも同じようで…

亀津安住寺跡と亀津学士村(徳之島町)

亀津安住寺跡は、亀津市街を見下ろす崖の上にあります。 徳之島最初の仏教系寺院で、徳之島の古記録「前録帳」には、元文元年(1738)に井之川に臨済宗安住寺が創建されて、全島民の宗旨が禅宗になったと書かれているそうです。安住時は延享元年(1744)に亀…

戸森の線刻画(西阿木名/天城町)

線刻画というのも珍しいので、ぜひ見てみたいと思っていました。メインの通り(県道)には何の案内もなく、かなり分かりづらかったのですが、脇道のようなところに入ってから、ようやく案内を見つけました。 樹木の間の細長い草地の中に小屋のようなものが建…

大和が沈んだのは徳之島沖?

<前回の続き> ところで、戦艦大和の慰霊塔がなぜ徳之島にあるのか、多少違和感があります。沈没地点は北緯30度43分東経128度04分で、地図上でみると徳之島が1番近いというわけでもありません。 どう見ても屋久島の西、徳之島から見るとかなり北の方になり…

戦艦大和慰霊塔(犬田布岬/伊仙町)

犬田布騒動記念碑から、さらに先の犬田布岬へ。突き当りの広い駐車場に着きます。駐車場から岬の先端に向かって遊歩道が延びています。 ここからはまだ、戦艦大和の慰霊塔は見えません。 遊歩道を歩くと、波の砕ける音がだんだん大きくなってきて、やがて左…

犬田布騒動記念碑(伊仙町)

県道から戦艦大和慰霊碑がある犬田布岬に行く途中に「犬田布騒動記念碑」があります。騒動の犠牲者の子孫、親戚が、100年祭を記念して昭和39年に建立したものだそうです。右側の石柱には「二十五番拝所」とあります。 記念碑からかなり離れた道路のそばに案…

天城(アマングスク)遺跡(阿権/伊仙町)

阿権川の谷に架かる橋を渡ってすぐ、県道そばに天城(アマングスク)遺跡があります。「町指定文化財史跡 アマングスク遺跡」と書かれています。 上の方の登っていくと柵に囲まれた草地があります。 岩が点在していますが、遺物が出土した場所と関係あるのか…

鹿浦小学校旧奉安殿(伊仙町)

旧奉安殿があるという鹿浦小学校へ。校門から見た限りでは奉安殿らしきものはありません。休日だったのですが、職員室におられた先生に声をかけて校舎背後にある奉安殿まで案内してもらいました。先生は郷土研究に詳しい方で、徳之島のことをいろいろお聞き…

泉重千代翁誕生地(伊仙町)

「長寿の道」を通って、長寿世界一泉重千代翁の像にやってきました。昭和57年に建てられています。 「翁」と呼ぶに相応しい風貌ですね。 慶応元年(1865年)6月29日生昭和40年 百歳で佐藤総理より表彰昭和51年1月17日 111歳で長寿日本一となる昭和54年6月 ギ…

カムイヤキ窯跡(阿三/伊仙町)

泉芳朗記念像からそのまま直進、途中工事中で舗装が途切れて、道幅は一気に狭くなります。道なりに行くとカムイヤキ遺跡の案内があり、サトウキビ畑のそばの土手の上に遺跡の碑があります。 1つは「鹿児島県指定文化財・史跡カムイヤキ遺跡」と書いた碑で、…

本土復帰の指導者・泉芳朗銅像 (伊仙町)

義名山神社から本通りに戻ってすぐ先に、泉芳朗頌徳記念像の案内があります。 あまり人影のないところですが、公園のようになっています。徳之島では、記念碑などは広い敷地に建っていることが多いです。 手前のパネルによると、泉芳朗氏は「復帰の父」と呼…

義名山神社(伊仙/伊仙町)

伊仙町役場で簡単なガイドマップを入手、町立歴史民俗資料館に寄ってから、台地の方に向かって整備したばかりのきれいな舗装道路を北上します。この辺りは海岸沿いよりも台地の方に史跡が集中しているようです。途中に二十七番拝所である義名山神社の案内が…

目手久八幡神社(伊仙町)

亀津市街をいったん後回しにして、今回から伊仙町です。 伊仙町役場のホームページを見ると「長寿・子宝の町」というのが強調されています。「長寿」は泉重千代さんですね。全国的に有名になりました。 もう1つの「子宝」の方は、トップページにこんなのがあ…

「秋徳湊の戦い」古戦場跡(亀徳/徳之島町)

亀徳港そばの道路わきに「秋徳湊の戦い」の案内板が建っています。建物の前にありますが、ほとんど目立たなくて油断していると見逃してしまいそうです。 他に関係する史跡があるわけでもなさそうなので、ちょっと長いですがそのまま書き写します。 「秋徳湊…

秋津神社(亀徳/徳之島町)

亀徳集落西側の高台に秋津神社があります。 社殿自体はこじんまりとしていますが、棟には千木、鰹木があり、石灯籠や注連縄もあって本格的なものです。 社殿の右側に詳しい案内板があります。背後の鳥居はちょっと不思議な位置に建っていますが、以前はこち…

疎開船武州丸の慰霊碑(亀徳/徳之島町)

なごみの岬公園には、富山丸慰霊塔の向かい側にもう1つの慰霊碑が建っています。 疎開船武州丸遭難者の慰霊碑です。 裏に碑文があります。 大東亜戦争の激化に伴い、徳之島守備の高田部隊の要請により鹿児島県知事は徳之島の老幼婦女学童を本土へ疎開せしめ…

富山丸慰霊搭(亀徳/徳之島町)

亀徳港の湾外になごみの岬公園があり、海を背にして富山丸の慰霊搭が建っています。 脇に碑文があります。 昭和十九年六月二十九日早朝この丘の後方二粁の海上にて戦没せる輸送船富山丸の陸軍将兵並びに乗組員参千七百四柱の霊を慰めむ。そしてこの碑を建つ…

井之川八幡神社と朝潮太郎銅像(徳之島町)

井之川八幡神社は井之川集落を流れる名田川(なーだんこ)という川のそばにあります。まず目に入るのが、神社手前の広場に立つ朝潮太郎銅像です。ここ井之川の出身だそうで、郷土の英雄ですね。 バックに見える山がいい姿をしています。徳之島の最高峰の井之…

徳之島小唄記念碑(徳之島町)

ちゅっきゃい節碑から南下して、集落を1つ越えた小さな岬の丘の上に、徳之島小唄の記念碑があります。周りを囲む樹木もなく、だだっ広い草原の中に1基だけポツンと建っています。あまり草は伸びてなくて碑までの踏み跡も少しあります。 碑の形がちょっと変…

ちゅっきゃい節記念碑(徳之島町)

花徳から井之川の方に向かう途中の道路沿いに2つの歌碑があり、どちらも太平洋を見下ろす場所に建っています。 1つは母間(ぼま)のちゅっきゃい節碑。 碑には歌詞が刻まれています。 ちゅっきゃいぶし碑 うしまつつくぬしま 十八里ちゅがや 十八里ぬ先な…

花徳神社(徳之島町)

平土野方面から島を横断すると、徳之島東側(太平洋側)の徳之島町に入ります。島を横断といっても山越えをするという感じではなく、かなり平坦な直線道路で、こういうところにも奄美大島や加計呂麻島との地形の違いを感じます。 最初の集落は花徳(けどく)…

天城高千穂神社(平土野/天城町)

平土野港の近くの交差点で、高千穂神社の案内が見えたので行ってみました。徳之島に来てから最初の神社です。 入口に教育委員会の案内があります。 高千穂神社明治二年、島詰官氏によって大隅国霧島神社から分社され、徳之島三間切にそれぞれ建立。天城では…

西郷南洲顕彰碑(岡前西郷公園/天城町)

西郷隆盛謫居跡のすぐ先にあるのが岡前西郷公園。大きな公園で、10000㎡あるそうですが。人の気配はありません。 ここは十二番拝所です。 公園内に小山のような塚があります。 一番高いところに西郷南洲顕彰碑があり、平成6年9月の建立です。 古い資料を見る…

西郷隆盛謫居跡(岡前/天城町)

岡前西郷公園の手前にあるのが、西郷隆盛謫居跡。 湾屋に上陸した西郷は、1週間後(文久2年6月17日)に琉仲為の勧めで、岡前の松田勝伝方に引っ越してきました。西郷はここで69日間を過ごしています。 上陸地から北の方に2kmほど離れた丘陵地です。 門からき…

不思議な空間・浅間湾屋洞穴(浅間/天城町)

徳之島空港ターミナルビルと西郷上陸地のちょうど中間くらいの位置に、浅間湾屋洞穴というのがあります。大きな案内板があるのですぐに見つかりました。 この洞窟は鍾乳洞で、方言で「ウンブギ」と呼ばれているそうです。珊瑚礁が隆起した時にできた鍾乳洞が…

特攻平和慰霊碑(浅間/天城町)

浅間陸軍飛行場跡の案内板から平和通り(滑走路跡)の直線道路を北上した終点にあるのが特攻平和慰霊碑。石灯籠の先に大きな石碑が建っています。 昭和50年6月の建立とあります。 碑文には次のように書かれています。特攻平和慰霊碑の由来この地は、旧陸軍飛…

浅間陸軍飛行場跡(浅間/天城町)

幹線道路から空港入口交差点を少し入ったところに「浅間陸軍飛行場(滑走路)跡」の案内があります。 浅間陸軍飛行場(滑走路)跡浅間陸軍飛行場は、昭和18年11月から着工し、軍民一体となり工事を進め翌19年3月には、長さ1500m・幅60mの滑走路を有する飛行…

西郷南洲上陸地(湾屋/天城町)

空港から南下して西郷上陸の地へ。河口が湾のように広がっているところに公園があります。入口には特に案内はありませんが、中に入ると一番奥の方に記念碑があります。 西郷南洲翁上陸記念碑と刻まれています。 昭和38年に建てられたものです。土台部分が崩…

塩田発祥之地記念碑(徳之島空港)

1月下旬に奄美大島からさらに先の徳之島迄行ってきました。徳之島を訪れるのは初めてのことです。徳之島のことは一般にはあまり知られていないように思います。私もつい最近までは、朝潮(先代)の出身地であることや長寿日本一の泉重千代さんがいたこと、闘…

輸送船富山丸の供養塔(古仁屋)

古仁屋小学校の向い側の丘に登る坂道に「なごみ坂」という案内があります。 登っていくと、丘の突端が少し広くなっていて、そこに富山丸の供養塔が建っています。 この塔は昭和60年に建てられたものです。大島ではあまり見かけない特徴のある形をしています。…

須子茂小学校旧奉安殿(加計呂麻島の旧奉安殿)

加計呂麻島(旧実久村)に現存する3つの旧奉安殿の1つ、須子茂小学校の旧奉安殿です。体育館の左の方に神社風の屋根が見えます。深い樹木に囲まれた佇まいは、何となく厳かな感じです。 建物は階段を10段ほど登った壇の上にあり、他の小学校の奉安殿に比べ…

赤尾木送受信所の3つ目の無線塔

赤尾木送受信所の無線塔は前にも見たのだが、その時は3基残っていることは知らずに2基を見ただけだった。今回は前回見逃していたもう1つの無線塔を見てきた。 ※参照(過去記事)赤尾木送受信所の無線塔 - 「大奄美史」紀行 屋入りトンネルを抜けて赤尾木三叉…

平家一族鎮魂の供養塔・赤間神宮の七盛塚(下関)

前回の赤間神宮の続きです。 拝殿の左手奥には、壇ノ浦で滅びた平家一門を供養する七盛塚があります。奥の方にずらりと墓碑が並んでいます。 光線の加減か奥の方が薄暗くなっていて、ちょっとした演出効果があります。 入口には高浜虚子の句碑があります。 …

安徳天皇を祀る赤間神宮(下関)

前回に続いて下関からです。 赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで入水した悲劇の幼帝安徳天皇を祀る神社です。境内には平家一門を供養する墓碑も建っています。 入口には、白壁に鮮やかな朱塗りの水天門があります。 普通の神社だとこの位置に鳥居が建っていたりしま…

壇ノ浦古戦場跡(下関市・みもすそ川公園)

今回は奄美大島を遠く離れた関門海峡からです。場所は離れていますが、奄美に伝わる平家伝説を通じて間接的には大きな関係があります。 平家の武将が奄美大島まで落ちのびてくる物語の発端は、「壇ノ浦の戦いに敗れた平家の一党は、安徳天皇を奉じて夜陰に紛…

海軍給水所跡(久慈)

久慈集落で地元の人に震洋隊基地の場所を聞いた時に、「こんなのもありますよ」と一緒に教えてもらったのが海軍給水所跡である。 集落手前の湾が一番切れ込んだところにあるのが水産物の水揚げ場らしく、建物やトラック、運搬具などが並んでいる。間を入って…

第44震洋隊格納壕跡と遭難者之碑(久慈)

瀬戸内町久慈の第44震洋隊基地跡を見に行く。 大島海峡には太平洋戦争末期、加計呂麻島の呑之浦に第17震洋隊、三浦に第18震洋隊、本島側の久慈に第44震洋隊と3つの震洋隊基地(特攻基地)があった。 ※第17震洋隊、第18震洋隊については過去記事参照震洋隊基…

平家落人の墓? ナナツバカ(小名瀬)

大島海峡のほほ中央部、県道から少し離れたところの深く切れ込んだ入江の奥にあるのが小名瀬集落。 集落入口の川にかかる橋の手前の一角に、カメがいくつも並んでいる場所がある。これがナナツバカ(あるいはナナツガメ)である。墓地というよりは、ナナツバ…

行幸記念の鐘(久根津公民館)

久根津集落県道そばの久根津公民館がある広場(ミャー?)の一角に昭和天皇の行幸記念の鐘がある。 行幸記念の鐘を見るのは油井に続いて2カ所目である。油井では大きな木の枝に吊り下げられていたが、こちらは柱が組み立てられている。尤も見た感じでは、ど…

久根津神社(久根津)

古仁屋からほど近い久根津という集落、奥の方にこんもりとした山があり、麓まで行くと「久根津神社」の社額を掲げた鳥居がある。 鳥居は素朴な形でかなり手作り感が漂っていて、いい雰囲気を出している。 参道の階段は100段ほど続いている。足場がしっかりし…

行幸記念碑もある屋鈍神社と路傍の石敢當

観光案内板の地図を参考に集落内を歩く。集落奥の山裾に屋鈍神社が鎮座している。 神社は大正5年に建立されている。扉が閉まっていて内部を見ることはできないが、シマダテの神とエビスを合わせて祀っているという。 社殿脇の境内の隅の方に小さな石碑が建…

サンゴの石垣が高い屋鈍の海岸

宇検村の西の果ては屋鈍集落。道路沿いのミャーには、ひときわ大きな土俵とアシャゲが並んで建っている。 アシャゲは形は平田のものにやや似ているが、少し小ぶりで木造である。コンクリート製や鉄骨を使った無機質のものに比べると、木造りの暖かみがある。…

神屋と岡家の石垣 (阿室)

(前回の続き) 山を下りて集落内を奥の方に入る。道のそばの空地のようなところに小さな建物が建っている。 集落の観光案内によると、これは神屋で、「神屋は親ノロのおられる所である」との説明がある。 窓が開いていたので中を覗きこむと、土間に竈の跡の…

秋葉神社とシマタテガナシ(阿室)

(前回の続き) 土俵の向かい側の公民館脇から山に入る道がある。 数10段の階段を登ると神社入り口の鳥居。 きれいに掃除された境内の右側に社殿がある。社名はどこにも書いてないが、これが秋葉神社のようだ。 秋葉神社について、集落の案内板には次のよう…

『海南小記』に書かれた神高き集落(阿室)

平田の先は阿室。集落内には高木がそびえている。ヤシの1種だと思うが、南国らしい風景である。 奄美大島には西阿室、請阿室、阿室釜など阿室のつく地名が多い。阿室は「アムル」ともいい、「神降る」という意味があるそうだ。 アシャゲは、少し集落の中に入…